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おやまビジョン市民会議 おやまビジョン市民会議
市と市民でつくる「おやま市民ビジョン会議」シリーズ セミナー&ワークショップ&報告会 開催レポート 市と市民でつくる「おやま市民ビジョン会議」シリーズ セミナー&ワークショップ&報告会 開催レポート

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2024/2/18開催:「大谷北部中部・大谷南部・桑・絹〜4地区合同ワークショップ」レポート

1|はじめに

小山駅や公共施設などに貼られているポスター(上の画像)、もうご覧になりましたか? 
今年度は、この2種を田園環境都市おやまビジョン策定の取組みの広報周知ポスターとしています。「おやまイレブン」のポスターは、とても好評のようですが、実は、このポスターは、本日、レポートを公開する「4地区合同ワークショップ」から生まれたもの(最後に経緯を紹介します)
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令和5年度の最後のワークショップとして、4地区合同ワークショップを開催しました。
令和4年度の1月に開催した、3地区合同ワークショップ(生井地区・豊田地区・小山地区)に続く、複数の地区住民の方々による相互理解をベースに、未来への方向性を探る機会の創出です。今回は、新たに風土性調査が完了した4地区(大谷北部中部地区、大谷南部地区、桑地区、絹地区)で調査にご協力いただいた方々を中心にお声かけし、また同時に小山市広報などでも周知し、一般の方々からも参加を募り、市民・職員、その他、視察・取材の方など合計60名の参加があり、とても活発な意見交換が行われました。例によって、このレポートも長くなりますが(笑)、どうぞ最後までお読みください。

ワークショップ参加者募集のチラシ

2|当日のプログラム

前半に風土性調査の振り返り報告、後半に調査成果などを基にしたワークショップという構成です。当日配布したプリントで、プログラムを紹介します

3|風土性調査〜4地区成果の振り返り

地区ごとに発表した当日のスライドと、白鴎大地域メディア実践ゼミからの報告を紹介します。白鴎大地域メディア実践ゼミの皆さんは、風土性調査成果をもとに、下村健一先生のご指導のもと、独自の視点でテーマを設定し、独自取材を重ね、その地区の「未来」の姿と、現在から未来への道のりをバックキャスティングの手法で描く取組みを行っていただいています。

(1)大谷北部中部地区

風土性調査成果概要・白鴎大地域メディア実践ゼミ制作記事「未来ノート」報告スライドより

白鴎大メディア実践ゼミ・取材報告
●記事>>こちら


大谷北・中部地区では荒川留美さんと大内晃子さん、子育て世代のお二方に取材をさせていただきました。取材をはじめてまず最初に、その活動の豊富さに驚かされました。どの活動にフィーチャーしようか悩んだほどです。悩みながらも、活動の豊富さは可能性の広がりにつながると思い、未来を描きました。

「こども劇団NIJI-IRO」取材初日、テーマはまさかの漫才講座でした。劇団と聞いて、てっきり演技指導を行うと思っていた私たちは驚きました。戸惑いながらも参加していると、子どもたちがとても主体的なことに気づきました。演技で使う小道具は劇団員の手製で、子供達も役割分担をして制作しているそうです。中には、劇団員で歌う歌を製作したという高校生もいました。本記内では、劇団員の将来について、活動内容に繋げ「歌手、作曲家、脚本家」等を挙げていますが、主体性というのはどんな将来でも役立ちます。
そんな主体性を持つ子どもたちには無限の可能性があると感じました。

また習い事ってこんなに自由でいいんだなと取材中とても感じました。今までの習い事は単体が多い印象で、世帯によっては「1つのことを集中的に」がまだ普通だと思います。対してこども劇団NIJI-IROは「劇団」に縛られていなくて、自分の好きを見つけられる機会にもなり、未来の習い事を垣間見た感じがしました。

「ママ’sマルシェ」では本記では描かなかった、子育て世代のリアルな声も聞くことができました。ママ’sマルシェ誕生のきっかけは、手芸が苦手だったり、忙しいお母さんの代わりに、手芸の得意なお母さんが、手提げカバンなどの入園グッズを作ってあげる活動でした。

また、市販のものでは学校の指定規格に合わないため、マルシェの製作者の方々が、なるべく多くの学校の規格をカバーできるよう作っているんだそう。子育て世代ではない私たちは、初めて知った悩みでした。

こうした悩みを個人で解決するのではなく、より包括的かつ根本的に解決していけたら、より住み良いまちになると感じました。


(2)大谷南部地区

風土性調査成果概要・白鴎大地域メディア実践ゼミ制作記事「未来ノート」報告スライドより

白鴎大地域メディア実践ゼミ・取材報告
●記事>>こちら

大谷南部地区では、お米とレタスを作る山中悠輔さんとかぼちゃを中心に様々な野菜を作る岡本修一さんに取材させていただきました。

取材に行くまで、農業は大変で、きつく、手作業が多いイメージがありました。

でも実際にお話を聞くと、機械化が少しずつ進んでおり、若い方から高齢の方まで幅広い方々が農業に関わりやすい環境になっていることを知りました。

しかし機械化しても、人が重要で、機械を上手く使いこなせたり、経営を管理する人間の力が必要になります。また現在でも、AI技術を採り入れたスマート農業は徐々に生まれつつありました。山中さんは、何でダメだったのか考えるのは人、考える可能性を広げるのがAIとおっしゃっていました。だからこそ、AIや機械の力だけに頼るのではなく、それらを上手く使いこなしながら、人がどう行動するのかが大切なんだとこの取材で感じました。発達していく技術の活用の仕方を考えることが、より良い未来に繋がるのではないかと思いました。

また、機械化が進んだことにより、人を雇うことにも幅が出ると考えます。
機械を操作する人、収穫する人はもちろんのこと、作物を広めるためにSNSの運営やイベントを企画するために大学生などの若い人をを雇ったり、農家の経営のみに携わる人など、雇用の形も様々になっていき、なっていくことで幅広い年代の方たちがもっと農業に携わる未来が来るのではないかと感じました。

岡本さんは「やるなら面白いことをする」と語り、私たちがお会いした時もハロウィンイベントを企画していました。記事には、2040年に岡本さんが「農村ビレッジ」をオープンしたと書きましたが、「体験型農業」を行い、そのために地区に人が集まるという可能性は高いのではないかと感じました。農家の仕事の6割である収穫作業を体験してもらい、利益を得るというのは理にかなっていながらも、人が集まりコミュニケーションを取る場にもなる。そういう場ができると、小さい子たちも農業を知ったり、興味を持つきっかけになったりと、これからに繋がっていくのではないでしょうか。


(3)桑地区

風土性調査成果概要・白鴎大地域メディア実践ゼミ制作記事「未来ノート」報告スライドより

白鴎大地域メディア実践ゼミ・取材報告
●記事>>こちら

桑地区では、『NPO法人 げんきフォーラム桑』の柿崎全良さんと、梅山恵子さんにお話を伺いました。

取材を通して感じたのは、「桑地区を“げんき”にしたい」という地域の方の熱い思い。住民の困りごとを解決する「地域たすけあい隊」 の発足や、教師を退職した方が勉強を教える「夏休み桑子ども寺子屋」の運営、栃木県農業大賞をも受賞した、えごま油の生産など、多岐にわたる活動を行っていました。お年寄りを中心に、地区を元気にしたい思いがあり、自主的に地域貢献をしている方が多い。そこに桑地区の色が出ていると感じました。

また、げんきフォーラム桑では市民交流センターである「マルベリー館」の運営も行っています。ここでは、「家にいるよりも、コミュニケーションのきっかけになっていい」と、ダンスや卓球、オカリナ、生け花など100種類以上のサークルが定期的に活動していました。地域の方に未来の夢をみるきっかけをこの連載で作りたいと考えている私たちは、「2054年のサークル案」を作りました。「懐かしのSwitchゲーム倶楽部」や「思い出のTikTokバズり曲を歌おう」、「『バーチャル小山ゆうえんち』ファンクラブ」など、既にお年寄りで活気溢れる桑地区の未来サークルについて、思いっきり想像の羽を広げて提案し合いました。

現在、全国的に超高齢化社会が加速しており、高齢者の孤立化や自治体の担い手不足等が問題となっております。そんな中、世代間の差を埋め、お互いに手を取り合っていけば、心も体も「げんき」に暮らしていけるかもしれない。
そんな可能性を桑地区から感じました。


(4)絹地区

風土性調査成果概要・白鴎大地域メディア実践ゼミ制作記事「未来ノート」報告スライドより

白鴎大メディア実践ゼミ・取材報告
●記事(ワークショップ開催時は取材中でしたが、その後、取材が完了し、記事も公開されています>>こちら

絹地区では、養蚕と結城紬をテーマに取材を進めています。

絹地区には既に養蚕農家の方がいないことや着物の需要がなくなってきていることも含め、生活様式が変わった現代で、伝統文化を残すことの難しさを実感しています。

そこで現段階としては、絹地区で長年養蚕をやっていらっしゃった野澤正義さん、紬織士である坂入則明さんのお2人に取材しました。

野澤さんは現在、絹義務教育学校で子どもたちに養蚕を教えています。

養蚕についての未来は、それだけで食べていくというのは難しく、助成金がでないことや器具を揃えることの難しさ、重労働の割に稼げないことから、かなり残すことは厳しい状況ですしかし野澤さんは絹義務教育学校の子どもたちに「自分たち(子どもたち)が生まれた土地がなぜ絹地区という名前になったのか、その土台を知ってほしい」と語っておりました。

さらに、絹義務教育学校の近くには糸つむぎのさとがあります。
そこでは[糸つむぎや真綿かけの伝統を守る会]などもあり、体験会、講習会、さらに真綿のハンドメイドキーホルダーやカラフルな色の真綿の販売をしています。
この活動はPRとしてもっと大きくできれば、かなり期待ができるのではないかと思います。

次に紬織士の坂入さんへ取材をしました。坂入さんは染物を中心に、家業として昔からやっていた機織りも行う、いわゆる二刀流で、2つをできる人も他にいません。坂入さんは、後継者育成の活動はしておりますが、「習っただけで終わっている。現場で働けるような場所がない」こと、「親方と常に一緒ではなく、1人でできるような、専門に仕事としてやれる場所を作ってほしい」というようなことを伝えてくださりました。

取材を通して、絹がどうできているのかをもっと広く知ってもらえるように、洋服などのイベントと一緒にPRしてみることや、実際に学校の文化祭や元々あるイベントに協力を依頼して、着物を着る機会をつくってみるなどをしてみるのもいいと感じました。さらに取材を進め、2054年の実現可能な未来を考えていきたいと思います。

3|ワークショップ 前半:地域を知り、理解を深める

ステップ1
ワークショップでは、まず、4地区のアンケート(地区で大切に守りたいものは?地区で解消したい困りごとは?)の2つの設問の回答結果に、情報共有・意見交換をしながら書き込んでいくというワークを行いました。「えー知らなかった!」「うちの地区もそこは同じ!」などの会話が飛び交い、初対面の人とも密な対話が進んでいたようです。


4|ワークショップ後半
都市部と農村部の関係をどう作るか 

ステップ2
今回のメインテーマに入ります。まずは、各班に1枚配布した、この座標軸に、現在の4地区の位置と、30年後はどの辺りに移動してると良いかを、シールで貼ってもらいました。どの班も、目指したい未来は「自然環境の豊かさを保ちながら、暮らしの利便性も高めていく」・・・という方向に。

ステップ3
最後に「生活の利便性」「自然環境保全」のバランスから考える、未来ビジョンの方向性について意見交換して、班としての考えをまとめていきます。意見交換のポイントをスライドでは3つ紹介しています。いくつかの班の意見交換の記録とともに紹介します。

5|各班からの発表〜全体での共有と意見交換

最後に、各班での意見交換と、導き出した未来ビジョンの方向性について発表をしてもらいました。順に、発表内容を、まとめシートと発表の書き起こしで紹介します。

●1班

1班では、まず都市と農村部の二極化が、それでいいのか、それともという②のところで進む二極化は進むだろうなという考えに至りました。二極化が進むことで困ることも増えていきますよね。交通弱者の方たちをどうするんだとか、介護の話にもなっていきます。二極化が進むという前提で考えると、自助と公助の在り方を今後も考えていく必要が出てくるんだろうなという考えが出てきました。

 その中でも自助については、地域のつながり、コミュニティ、桑地区や絹地区でも人々同士でのつながりが大事にされてきているようなので、それを今後も大事にしていく必要がある。ただ一方で最近の若い人たち、新しく小山に引っ越してきた人たちは、プライベート重視な志向のところもあって、そういう方たちにうちのコミュニティに入っておいでよと無理やり言っても、いやですとなってしまうので、そういう人たち、それぞれ個人の考え方と地域のつながりを深めていくことの間の塩梅をどう考えていくかは、今後も考えていかなくてはいけないのではないかと思いました。

二極化が進むだろうなというところの中で、農村地区については、二極化が進んだら進んだで、今後もIT技術が進んでいくと思うので、IT技術を活用していって、IT×自然。自然のあるテーマパークといいますか、キャンプ場を作ったりとか、森林公園をもっと発展させていくとか、あと森林サウナができたらいいよねみたいなことも考えつつ。農村部は農村部で、盛り上がり方というのは、今後発展していく技術を使っていくことで、なんとかできるのではないかなという意見が出ました。

3番目に書いてある、世代間と地区間の交流というのが、地域のつながり、コミュニティを大事にしていく中で、コミュニティに入っていなくても必要とされている感が、どこかでできていくといいのかなというのがありまして。理想に近いものにしていくには、地区内だけで解決可能なのかと考えると、地区内だけではできないな。地区間での交流を今後も大事にしていく。それと世代間。住んでいる場所での区別だけではなく、その住んでいる人たちの中には、若い人も年を取っている方も、いろいろな世代の方がいますので、そういう世代間での交流も大切にしていって、温故知新といいますか、昔からある考え方を大事にしていったり、新しい、若い人たちのやり方、考え方を取り入れていったりというのをしていく方針でいくといいのではないかなと思いました。という意見が出ました。


2班

2班はかなり意見が白熱しまして、農業、教育、行政の、また地域も、すごくバランスの取れたメンバーだったなと感じています。私たちは、目指すところがもう豊かで利便性が高い、快適。ここの、もうすごい究極のところにきてしまって、こういったことを実現するにあたり、どうしたらいいんだろうということで、先ほど他の班を見たときに、若い方たち、今後育っていく若い方たちが本当にここを目指していくのだろうか。本当にこれをよいと思ってくれるのだろうか。私たちが目指したビジョンを策定したところに、若い方たちが、「本当にそれどうなの?」というところで、でも、ここに行きたいというところで、若い方たちにどうやってその魅力を伝えたりとか、分かっていただくことが重要になってくるかなというところが、非常に熱い白熱の議論になりまして。

ちょっと大きく、もうここの地域にとどまらず、小山市全体というふうな話にはなったのですが、もう人材育成のシステム、これは重要だよねというところで。小山市には農業、工業、またいろいろなところで素晴らしい文化があるので、そういったところをもう小中学校から、体験学習キャリア教育をしっかりしていくことが重要なのではないかという話にまでいきました。

リテラシーの向上だったり、三方よしですね、生産者、売る人、消費者。?他国とかだとその生産者というところで行政が介入して、しっかりそこが安心して生産できるという環境が作られているところもあるというお話も伺えまして、そういったところを大切にして、三方よしの社会の実現を目指していけたらという話になりました。

やりがいを高められるように、守るシステムというのが公的に必要なのではないかというところまでいきました。もう地域にとどまらずというところまで話がいってしまい、ちょっと目的とした課題からはズレてしまったのかなと思うのですが、やはりビジョンを掲げた中で、目指すところはこういう高い位置にあるわけで、これは素晴らしいよねとなっているので、そういったときに次の世代の子どもたちにも、そういったものを理解してもらったりとか、また本当にそれをいいと思って進めていただけるような人材育成のシステムが、われわれのお勧めしたい提言になります。


●3班

まず、現代に生きるために、また未来世代が幸せに生きるために必要なものは?というところで、やはり水や空気という話が出まして、大きく言うと、自然を残していくことが大切なのではないかと話が進んだところです。

ただ、自然を残すとはいっても、例えば平地林などが残ってはいるものの、放置されてしまっていて、ゴミが捨てられてしまったりというお話もありましたので、それを利便性も伸ばしつつ、自然を残していくという形で、利便性に資する形で自然環境を利活用するまちというので、一つ目にさせていただきました。例えばですが、平地林を公園のような形で利用するですとか、そういったところになってきます。

二つ目に、「都市部と農村部が連携して、住みたいところに住むことができる個人のウェルビーイングを重視するまち」とさせていただいたのですが、グループ3の意見としては、都市部と農村部は分かれていつつも、交通インフラなど、農村部から都市部へのアクセスもしっかりと整備し、農村部に住んでいても、駅であったり買い物であったり、あとは道路などもきちんと車や人も行き来しやすいようなところが整備できるといいよねというところと。あとは、例えば農村部などは農薬の使用だったり、あとは臭いとかですかね、都市部と隣接していると、どうしても苦情が出てきてしまうというお話もありまして、そういったルール作りだったり、あとはお互いの理解促進も、大事かなというところです。

あとは都心に住みたいような方もいますし、農村部に住んでいることがすごくリラックスにつながるという意見もありましたので、そういったところで住みたいところに住むことができる。個人個人が選択をできるのが大事なのかなとまとまったところです。


●4班

グループ4は珍しくというか、ここには他から越してきた方はいなくて、全員ずっと小山に住んでいた方のグループです。一応4地区にはなっているのですが、分からないところの話はするのはやめましょうということで、絹の方がいて、大谷南部地区の方がいて、桑の方がいたので、大谷北部中部に関しては「だよね」ぐらいな感じで入っています。

 最初にとても印象的だったのは、他のグループに比べて結構真ん中に寄っているんです。これは、何十年か分かりませんが、全員数十年小山で暮らしてきて、意外とそんなに足りないものの話は出てきませんでした。ただし、消えていくものが悲しい、寂しいとか、嫌だという話が出てきました。ということは、現状、小山にないものはそんなにない。小山がすごく不満で、もうどうしようもないというところはなくて、今の小山はすごくいいんだけれども、足りないものがちょっとあるとか、足してほしい、ちょっとだけ足してほしいことがあるというところが軸になって、話が進んでいたように私は感じています。

結局、私たち、とてもヤングはいなかったので、では30年後、誰がどうしているのが理想なのかという話になりました。そうしたら、30年後にたぶんここで同じように話をしている人たちを想像したときには、それは今、子どもでしょうということにたどり着きます。

なので、私たち一致団結して、なぜかスローガンをちゃんと作ってしまいした。「子どもが輝く小山」にたどり着きました。これは、結局子どもが輝く小山は、放っておいても子どもは輝かないので、私たちが子どもに何かを、例えばさせてあげたいとか、教育ですよね。教育と言ってしまうと簡単なんですが、勉強ではなくて、体験学習ですね。農業もそう、お祭りもそう。歩くも走るも、全部そうです。触る、見る、聞く、全部そうです。体験をさせたい。

交通の利便性の向上なんですけど、これもあまりにも変わらなくてもいいんです。ただ、免許返納したときに足りるぐらい。ちょっと足してほしいかなというところ。

食、食べる、食べるに通ずる農業。農業もうんと変えてほしいのではないんです。今の農地が現状維持して、そのために子どもが輝いて、将来、農業もやっていてほしい。農業「を」ではない、農業「も」やっていてほしい。そのためには、今から食の話だったり農業の話だったり、前向きな子育てをしたらいいのではないかということで、結局、最終的に今の小山に少しだけ味付けしたいなというのが、たどり着いた意見です。


●5班

いろいろな皆さんからのご意見も各グループも聞いて、うちのグループでももちろんいろいろな意見が出ました。問いが、生活の利便性と自然環境保全のバランス、未来のまちづくりの方針というところで、いろいろな問題について話し合えば話し合うほど、根底は何なんだろうというところに皆さんで沈黙の中、やはり沈黙してしまうんです。何だろう根底はと。

一つ出したのは、方針というよりは理念になると思うんです。今、ビジョンを作ろうとしているわけですが、さらにその上ですよね。理念。それを、いつの時代も話し合って、ちょうどいいを決めるというのが、一つ今日出た答えです。つまりここで何かをおそらく決めても、30年たったらどう変わるのか、そのくらい時代の変化は激しい。それと、今日ここには子どもたちはいない。世代もいっぱい超えていかなくてはいけない。そういう時代の中で、未来もも同じように話し合われていれば、その当時のその人たちが必ず決めていくのだろう。この話し合いがなくなってしまえば、当然、まちは廃れてしまう。

この中で出たのは、では海があったら住みたくなるのか、東照宮があれば人口が増えるのか。決してそうではないです。日本全国。どこも皆ここに悩んでいるわけなんですよね。

僕は小山ではないところから来た人間なのでなおさら思うのは、たぶんまちづくり、人がそこに住む理由は、自分がこの場に必要だという、おそらく***があるからここに住むのであって、もちろんいろいろな、例えば経済的なものも、会社があるとか、暮らしがある。実利的な理由はあるんだけれども、でもやはり最終的には自分の居場所がここにあるかどうか。必要とされているという実感が、今の子どもたちは特に少ないわけですよね。

ではどうしたら実感が持てるかといったら、参画することだと思うんです。こういうふうに。自分の意見が言える。自分の意見を誰かに聞いてもらえる。ひょっとしたらそれが反映される。そういう話し合いが持たれていけば、あのバランスは今はなかなか指標も難しいですし、答えを出すのは本当に難しいけれど、正解は出せないかもしれないけれど、納得は引き出せるのではないかなと思っていて、

そういう中でいうならば、「話し合ってちょうどいいを決める」。これがある意味、理念に常にあった上で、ビジョンなり総合計画なり、そしてそれぞれの各行政なり、まちの民間団体の目標がその都度あれば、大きくは間違えないのではないかなという。そんなことを私の言葉で語ったので、皆さんの意見と違っている部分もあるかもしれませんが、100年続く小山市。小山市の百年の計という言葉もあるのですが、そんなものにつながるのかな、大切なのはそこなのかなという結論になりました。


●6班

まずは、先ほどのバランスの話ですね。地区ごとのバランスの話の中で、理想論を語ってしまえば、それぞれの地区、便利で自然も豊かで、これが最高でしょうということで、うちの班は作ったわけですが、いろいろな班を見ると、現実的なところもあったりとか、いろいろあるんですが、そこを考えていくと、それぞれの地区で全部百点満点を取ろうというのは、やはり不可能ではないかなというのを、この話し合いの中で感じました。

結局、ではそれはどういうふうに取っていったらいいのかというところで、たぶんこのグラフをちょうどいいと、先ほど5班でもちょうどいいという話がありましたが、ちょうどいいって、ここなんだろうな。このバッテンの交わるところ。ここが小山市全体で真ん中だったらいいのではないかなということで、ここを仮に100点として考えました。

そのときにそれぞれの地区の役割、特徴だったり得意、不得意あると思うので、それをどうやっていくかという中で、こっちのサッカーのような感じで、ちょうど11地区だったので、小山イレブンとさせていただいたのですが。上がフォワードですね、攻める。こちらはまちとして攻めていこう。それから下は自然を守っていこう。ここのバランスをちょうど取っているのが、大谷北だったり、大谷中だったり、南だったりがちょうどいいバランスなのかなというところで、それぞれの役割を地区の中で担っていって、小山全体で、ときにはポジションも変えながら、こっちの自然が減ったらではこっちは少し上げてみようかとか、それを小山全体の中でバランスを取って、ゴールを目指していくというのがいいのではないかなと考えました。人のところまで落としきれなかったのですが、エリアごとの考え方という形になりました。


6|浅野市長からのコメント(書き起こしで紹介します)

どうもありがとうございました。皆さん、ご存じのように、今年が小山市制施行70周年ということなんですね。昔はどうだったのかということで調べるというか、本でパラパラと見たところ、もともと明治の21年とか22年のころに町村制が施行されて、そのときに大字がいっぱいあったのが、小山町と九つの村ということで、先ほど言っている10地区に整理されたわけなんです。

そのときの人口が、一番少ないところでも2000人台で多いところでも5000人台ということで、格差がせいぜい2倍ぐらいなんですね。今、10地区がどうなっているかというと、一番少ないところは千数百人です。ですから明治より減ってしまっているんですね。そして、一番多いところは小山地区で、5万を超えているのかな。そうすると、30倍ぐらいなんです。明治のときには2倍ぐらいの差のなかに全ての10地区が収まっていたのに、今は本当に30倍までということで、結局、都市と農村が、ある意味、二極化しているのが現状なんだと思います。

以前は、宿場町とかそういう多少特色のある場所はあったにしても、基本的には農村的なもので、10地区はそんなに大きな差はなかったと思うのですが、今そうやって30倍までに人口格差が広がったときに、本当に市街地、小山の中心部は、ほとんど農地もなくなってしまいましたし、先ほどの大谷南部の南和泉ではないですが、そういうふうに人口が減っているところでは、まだ人がどんどん減ってしまうのではないかという状況で、都市と農村はすごく分かれてしまっている。

今まではなんとなく、だんだん小山は都市だけになってしまって、農村はどんどん寂れていくのではないかというような、そういう雰囲気というか、それはしようがないよねというところがどこかであったと思うんですね。

だけども、こうやって風土性調査を重ねてきて、こうやって地区ごとにいろいろ話してみると、やはり先ほどのイレブンではないですが、それぞれの役割があって、10地区の中で、どこかの地区がなくなってしまっていいよねとか、二つ、三つ、合併してしまえばいいよねということでは決してなくて、それぞれの地区の多様性が今後も非常に重要で、それがやはり小山の魅力なんだろうと思います。ある意味、もうバランスのよさを通り越しそうなぐらいの状況に今はなっていて、これからは、なんとかそのバランスを保つことが大きな課題なんだろうと想います。

小山が10地区あるということも、今まであまり、最近は意識されていなかったと思いますし、なんというのかな、自分がどこの地区にいるというのもあまり考えずに、僕は小山市民だから、私は小山市民と言っていたわけですが、実際、住んでいる人の小山のイメージは、地区によって全然違っていたんですね。駅周辺の人は農村のことを知らないし、農村の人は駅周辺で何をやっているか知らない。だから、お互いが知らないまま、でも小山市民と思っていたのですが、こうやってお互いのことを知っていく、そして自分自身もよくよく周りを見ると、本当にいろいろな人がいて、いろいろなことをやっていて、それでもみんなが小山なんだというところ。

だから、われわれがチームだということも、本当に小山イレブンと言ってみて、私たちはチームなんだなと。イレブンというところで、本当に役割分担しながら、なんとか小山というまちを作り上げているんだなということが、今日、小山イレブンという言葉を聞いて、あらためて意識することができたのではないかなと思います。

ですから、これからやはり小山イレブンとして、どの地域もやはり無くさないし、どの地域も大切で、そのメンバーがいなければ試合ができないんですよ。そういう意識を持ってこれからの30年をやっていくし、常にメンバーは、意思疎通ができなければチームとして動けませんので、発表でもありましたが、いつもチームのメンバーが意見交換しているんだと。これが小山の当たり前の姿なんだと定着していけば、なんとか小山イレブン、チームが消えずにいられるのではないかと思いました。

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以上が、当日のご報告になりますが、もうここでお察しの通り、今年度のポスター「おやまイレブン」は、最後の6班の発表内容をもとに作成しています! 駅や公共施設などでぜひ実物をご覧ください。

6|参加者アンケートより

次に、参加者の皆さんが記入してくださったアンケートの結果を紹介します。参加者60名のうち、25名の方に回答いただいています。

Q1|セミナーに参加してのご感想をお尋ねします。
(青)参加者との意見交換を通して、今の気持ちに「とても」近いもの
(オレンジ)参加者との意見交換を通して、今の気持ちに「まあまあ」近いもの

Q2|上で選んだお気持ちについて、その理由として具体的なことがあれば教えてください。また、セミナーを受ける前と受けた後で、何かお気持ちや考え方に変化があれば、教えてください。
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◎もっとむずかしいのかと思っていたが、あっという間に終わってしまった。いろんな立場の人の意見が聞けてよかった ◎毎回楽しく、いろいろな話ができて有益です ◎「おやまイレブン」に感動しました! ◎新しい視点に出会えてよかった ◎自分の意見を多少発表出来て満足した ◎・小山市「100年都市」としての「田園環境都市おやま」 ・理念、基本理念(都市環境)(田園環境)→調和、緑の都市づくり ・SDGs(持続可能な開発目標) ・小山市民1人1人の「田園環境都市おやま」の町づくり ◎また、各方面で活躍されている方のお話を聞き、さまざまな意見や考え方を聞くことができ参考になりました ◎各地域によって、良い所、悪い所あって自分の所だけではないと思えた! ◎地域、世代の異なる人たちのお話がうかがえてよかった。もう少しじっくり話ができる時間があると嬉しい。タイムキーパーなども必要かと思う ◎今回の主題である4地区とはあまりご縁がなかったため、気づきを得ることをひとつの目的として参加しました。各地区ご出身の方から直接、課題や残していくべき物もお話を伺うことができてよかったと思います ◎昨年の12月に小山に引っ越してきて、小山の声があまり分かってなかったですが、より深く知ることが出来た ◎地区のキーパーソンとなる人と知り合えてよかった ◎小山市に2か月前に引っ越して来て小山市をあまり知らなかったが、ワークショップに参加して小山市を知ることが出来て良かったです ◎小山市を良くしていくために、市政の方々と話ができて、自分もアイディアの刺激になってよかったです ◎これがどうビジョンに活きてくるのでしょうか?そろそろそれが明示されないと参加している市民も不安になります ◎やっぱり小山はいいなあと思った ◎ゴールや正解まで出さなくても話し合えばいいんだという発想にすごく「は!」とさせられました

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Q3|今後の田園環境都市おやまのまちづくりについて「質問」「情報」「ご意見」などありましたら、お書きください。
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◎ぜひ、これからの人生を築く小中学生を巻き込んだ、体験学習を行政がキャリア教育として推進してほしい。(市教委と、協力すべき課を連携された組織で) ◎二極化の中で、いかに生活の豊かさ、満足度を増やせるかを追求する ◎今後「100年都市」としての「田園環境都市おやま」に参加したいと思います ◎小山市の発展を願います ◎自然と都市のメリハリのある町づくりをよろしくお願いします 

最後に:『ソトコト』誌掲載のご案内

このワークショップ は、未来をつくるSDGsマガジン『ソトコト』編集部の取材も入り、市民参加のビジョンづくりについて、5月号に掲載していただきました。ソトコトオンライン(ウェブメディア)にも、こちらに掲載されています。ぜひ、お読みください。
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30年先のありたい姿を描く、「おやま市民ビジョン会議」の挑戦
https://sotokoto-online.jp/well_being/25244