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心も体も元気!多世代が繋がる!ウェルビーイングな桑地区の未来
今は未来、2054年12月。
小山市桑地区は、赤ちゃんから120歳のお年寄りまで、多くの人が「元気」に暮らしていることで有名な地域だ。最近ついに国内で初めて”健康寿命100才のまち”という大胆な宣言を掲げた桑地区の活力の影には、『NPO法人 げんきフォーラム桑』による無数の努力があった。今回は、まさにその宣言の体現者である、柿崎全良さん(101)と梅山恵子さん(100)にお話を伺おう。
初めて取材班がお二人にお会いしたのは、今から31年前(令和5年)、私たちがまだ白鴎大学地域メディア実践ゼミの学生だった頃。その時点で柿崎さんはフォーラムの代表理事、梅山さんは事務部長として様々な取り組みを引っ張っていたが、それが今や大発展を遂げている。ここまでの道筋を、振り返っていこう!
◆[お年寄り]からまず[子ども]へ、そして[間]の年代を埋める
『げんきフォーラム桑』(以下“フォーラム”)は、「桑地区の”げんき”につながる活動を行おう!」という熱い想いを持ったメンバーが集まり、今から37年前の平成29年に設立された。
令和5年の頃には既に、桑市民交流センター「マルベリー館」の指定管理(市の指定を受け、市民サービス向上のため、積極的に自主運営できること)や、高齢者の困り事を解決支援する「地域たすけあい隊」など多岐にわたる活動を行っていた。
しかし、その頃の会員の年齢層は、主に60〜80才。日本中の他のどこの地域とも同じように、高齢化が課題になっていた。梅山さんは「お年寄りと若者の世代間の交流を持ちたいけど、どうやっていいのか分からない」と、若者との”社会的な繋がり”の無さに悩んでいた。そんな当時の活動の中でも、 子どもと接することができる貴重なイベントがあった。それが、「夏休み桑子ども寺子屋」だ。夏休み中に小学生が宿題をする部屋を提供し、教員を退職した方が先生役になって子どもたちに勉強を教えていた。
その頃から柿崎さんは、「大学生に来てもらって、小学生の勉強を教えるのもいいよね!」と目を輝かせていた。
やがてフォーラムは、小山市内唯一の大学である我らが白鴎大学の教育学部に着目した。桑地区在住の白鴎卒業生が大学の地域連携センターに「学生の力、貸してくれませんか?」と持ちかけたことがきっかけとなり、今や寺子屋では現役の白鴎大生が中心となって勉強を教えている。さらに、開催時期を夏休み限定ではなく、放課後に毎日開催するようになり、桑地区の子どもたちにとって会場の「マルベリー館」は“第2の家”のような存在となった。
今も名誉会長として活躍している柿崎さんの願いは、こうして見事に現実となった。子どもたちや学生たちが連日出入りするようになって、次なる課題はその若者たちの定着。20代の人達が10年定着すれば30代、20年定着すれば40代のメンバー“空白域”も自然に埋まっていくはずだ。それにはどんな仕掛けが必要かーーー浮上したのは、思わぬキーワードだった。
◆連携のキーワードは「マルベリー」=桑!
ある日、寺子屋に教えに来ている白鴎大のボランティア学生が雑談で言った。「ここはマルベリー館だけど、白鴎大学のキャンパスには、マルベリーホールっていう講堂があるんだよ。」
—— 同じ名前に不思議な縁を感じた、フォーラム側と白鴎大学ボランティアサークル。そこから両者は‘‘マルベリー同盟‘‘を結び、寺子屋以外にもマルベリー館で開催される様々な講座やサークルのサポートで白鴎生が活躍し始め、卒業後も関わり続けるよ うになった。
中でもマルベリー同盟が頑張ったのが、グラウンド建設計画。マルベリー館開設当時、代表理事だった柿崎さんは「若い人からお年寄りまで集まれるグラウンドを作りたい」という強い思いがあり、県に掛け合ってみたものの叶うことはなかった。しかし、子ども寺小屋の好評で若い会員が増大すると、「やっぱりグラウンドを作ってほしい」という声が再燃。そこでクラウドファンディング(ネット募金)で寄付を募ってみると、すぐに目標額が集まり、「うちの土地を貸しましょう」という地主まで名乗りを上げた。
こうして2030年、ついにマルベリーグラウンドが完成! マルベリー同盟が世代を超えた運営委員になって、毎週末にはシニア・ユース混合野球大会、親子対抗マラソン大会…など様々なイベントが開催されるようになった。グラウンドは小学生から高齢者まで多世代が集まり、たくさんの交流が生まれる場所に。親子イベントへの参加をきっかけに「わが子のためにも桑地区をより良い環境にしたい」と、親世代の会員も増えた。「グラウンドができてから、お年寄りの笑顔が増えた。やっぱり、若い人と一緒にいると元気をもらえる」と、柿崎さんは大喜びだ。
あの首都直下型地震が発生した時には、幸いにも小山市は大きな被害がなかったが、それでも1週間ほど停電が続いた。フォーラムは直ちに、マルべリー館とマルベリーグラウンドを拠点に「緊急たすけあい隊」を編成。それぞれの地区に分散して豚汁を提供するなどフル回転し、それがまた更に会員増加のきっかけとなった。
かくして、令和5年の取材当時で既に100団体と元気だったサークルは、2054年の今や…なんと倍の200に!
・懐かしのSwitchゲーム倶楽部
・思い出のTikTokバズり曲を歌おう
・令和の古着愛好会
・桑地区子ども議会定例会
・子どもからお年寄りまで!スマート投資教室
・「バーチャル小山ゆうえんち」ファンクラブ
——「誰も使わなくて困っている」存在だった工作室はVR室に変貌し、人気サークル「仮想旅行の会」が室内にいながら世界中を飛び回っている。2040年に初開催された「ロボットスポーツ・ファイターズ」ではグラウンドを使い、ロボットvs人間の熾烈な競技が繰り広げられた。
一方、昔からのサークルも健在。令和5年にお邪魔させていただいた「オカリナの集い」も、今もそのままほっこりした音色を奏で続ける伝統サークルになっていた。
◆もう1つのキーワード「げんき」――その源は、えごま?
私たちの初取材当時、桑地区の農業の新たな可能性として注目され始めていた、えごまの栽培。その5年前(令和元年)には、第1回栃木県農業大賞を受賞していた。当時えごま油作りはまだ業務委託していたが、その後次第に機械に頼らず収穫から販売までを一括して行うようになり、2040年代後半には遂に市場シェアNo1へと成長を遂げた。
桑地区を中心に、小山市内にはえごま油の生産工場が次々と設立。そこで働くのは、えごま油で元気を保つ高齢者たちだ。その人達がえごま油の品種改良を重ねた結果、2054年の今では“えごまの医者いらず”と呼ばれるほど、地区の健康寿命が向上。医学的な因果関係はまだ立証されていないが、梅山さんは「私が証明なの」と胸を張っている。現にマルベリー館では0~120才の幅広い年齢が集まり、和気あいあいと活動する光景が毎日見られるようになった。
31年前、柿崎さんは私たちに「この団体の名前の“げんき”って、凄く意味がある。心も身体もだね!」と強調していた。2054年の今、超高齢化社会が加速し続けていることに変わりはない。そんな中、桑地区の住民は年齢を問わず、心も身体も“げんき” に手を取り合い、更にお互いを“げんき”にしていくのだ。
白鴎大学地域メディア実践ゼミ(大橋爽乃、小林菜々子、室岡巧輝、若菜恵実)
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