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生井地区 Namai
●この記事は、3-2のグラフに不備があり、2023年1月25日に修正をしています。
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田園環境都市ビジョンづくりに向けた小山市11地区の風土性調査
生井地区 報告レポート「基礎資料・概要版」
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生井地区の風土性調査について
「風土」とは、地域の自然に対して人間が暮らしと生業を通して働きかけることでかたちづくられる、人々が生きる環境のこと1を言います。人々が生きる環境、それは私たちの身近な世界、生活世界のこと2でもあります。
地域の風土(生活世界)を、あらためて把握するために、
①地理学や民俗学的な視点で地域を見て歩く「踏査」(現地調査)、
②アンケートや聞き取りを行う簡易社会調査、
③小山市史や研究論文などにあたる文献調査
これらを組み合わせた風土性調査を実施しています。
この概要版は、その調査成果の報告レポート「生井地区 基礎資料」をから主なトピックを抜粋し、一部に加筆を加えたものです。報告書の完全版(A4版70ページ)やアンケート集計結果報告書(同・57ページ)は、最後に紹介するリンクから閲覧ができます。
註1:出典 薗田稔編『神道』(弘文堂、1988年)
註2:出典 アルフレッド・シュルツ、トーマス・ルックマン 『生活世界の構造』(那須壽監訳、筑摩書房、2015年)
1|生井地区の概況
小山市の基本地形と生井地区の位置
西から思川低地、宝木(たからぎ)台地、鬼怒川低地が並び、宝木台地(図中、着色)の東を鬼怒川、西を思川が流れています。生井地区は、小山市の南西の端に位置します。
生井地区は、小山市の南西部に位置し、
渡良瀬遊水地第2調整池に隣接しています。
網戸(あじと)、生良(吉良)、楢木(ならのき)、白鳥(しらとり)、上生井(かみなまい)、下生井(しもなまい)の6集落からなる生井地区の面積は12.27km2で、市の面積の約7%を占めます。地区の人口1,699人は、市の人口の約1%に当たります(令和3年4月1日現在。「令和3年度版小山市統計年報」より)。
地区は、思川(おもいがわ)や与良川(よらがわ)や巴波川(うずまがわ)が流れる思川低地と呼ばれる地形の上にあり、これらの川が合流する地点を組み入れた渡良瀬遊水地第2調節池に接しています。地盤の高さは、海抜約13~20mで、約40万年前には今より気候が温暖であったことから海面が上昇し、現在の東京湾から生井地区まで海岸線が入り込んでいたと、下生井小学校の地下約20mの地層から海の貝が見つかったことでわかっています。
2|地域の自然と、自然への人の働きかけについて
2-1 交通の要所であった生井地区
思川は、明治中期の日本鉄道奥州線(現東北本線)開通まで広域河川交通にも用いられ、乙女(おとめ)附近を境にして、上流は傾斜が急になり、河床の傾きに応じて運搬船が使い分けられていました。
江戸時代から明治時代は、舟運。
明治時代は、養蚕業の産地として
にぎわっていました。
思川や鬼怒川は、江戸時代から、日光街道、日光西街道、例幣使街道などの陸路と共に広域交通に用いられていました。
思川の川底の傾きは、乙女大橋の付近までが緩やかで、これを挟んだ生井地区の網戸と向かい側の間々田(ままだ)地区の乙女には江戸時代から明治時代にかけて河岸(かし)があり、水深は上流側より深く、江戸、東京から船底の深い船で行き来ができました。二つの河岸は、より川底の傾きが急で水深が浅い上流側を通れる船底の浅い船に荷を積み替え、思川低地に拓かれた農地で生産される産物などを積み出す場としてにぎわいました。この産物には、生井地区で盛んであった養蚕に用いる蚕種や桑の葉が含まれました。
2-2 洪水への備え
生井地区は、交通の要所になるなど立地的に恵まれた面がある一方で、栃木県の中でも最も地盤が低く、集落は周囲より少し地盤が上がったところを選んでつくられましたが、それでも水害への警戒がつねに求められ、さまざまな工夫がなされてきました。
集落を堤防で囲んだ輪中堤(わじゅうてい)や、すき間があるために水は通すものの勢いを弱め、流木や岩などを越しとれる水害防備林(強風への備えも兼ねました)、敷地の囲いを兼ねた生垣、母屋より地盤を高くして避難や備蓄に使う水塚(みつか/みずづか/みづか)、水害時の移動に使う揚舟(あげふね)などの備えが工夫され、重ねて用いられてきました。ただし、水塚や揚舟が保存される例は少なくなってきています。
3|地域と、人々の心身の結びつき
簡易社会調査では、自治会加入全世帯を対象にしたアンケート(大問7、回収404通・70%)、グループインタビュー (①子育て世代②農業従事者③50代60代の地域活動推進者④地域の歴史に詳しい70代80代)、個別聞き取りを実施しました。この章では、その住民の方々の声も交えながら紹介します。
3-1 生井地区で語られるキーワード
3-2大切に守りたいもの〜自然環境・風景・農業
アンケートの設問【4】で「大切に守っていきたい、生井地区の「小さな自慢」は何でしょうか?」と問い、4回のグループインタビューでの聞き取りをもとに用意した選択肢から3つを選んでもらいました。
回答では、自然環境、風景、農業に関する項目で5割を超え、その内訳では、地形的な特徴と、継続される農業によってもたらされる「農村風景」や「自然環境」、その環境に依拠した「コウノトリの存在」が高くなっています。一方で、それらの基盤ともいえる「産業や生業としての農業」を挙げた人は25名にとどまりました。グループインタビューでのコメントを3つ紹介します。
●水害に苦しめられてきた土地だが、見方を変えればそのおかげで美味しい米が取れる。減農薬の「生井っ子」、無農薬の「ふゆみずたんぼ米」。代掻きしたり稲刈りする時に、コウノトリがすぐ近くに来てエサをついばむ。それはやはり貴重な風景であり、ここ数年、当たり前の風景になって、これは大きな自慢だ。●コウノトリのエサのためにも有機農業がいいのはわかるが、人手不足の農家は除草剤もけっこう使う。
●自然共生とは言っても予算がない地域に人がいないでは改善されない。
生井地区の田園風景について
場所によっては、
北海道にいるような
広大な景色がある。
・・・アンケート【4】のコメントより
思川や巴波川が足尾山地から運び下ろした土砂が、思川低地をつくりました。『都市の清流…思川を歩く』1には、こんな記述があります。「次に私たちの祖先が千数百年かけて水田にするため平らにしてきた−つまり川の力と人間の力の見事な合作で生まれてきた平らな広々とした低地といってよいでしょう」。
アンケート【4】にいただいたコメントをいくつか紹介します。
●乙女大橋を渡った時に広がる緑一面の景色は見事である。一昔前は夕焼けも目を見はるようなものだった。農家を支える方策を考えて欲しい。
●農家の発展なくして田園地区は成り立たない。どのように農業ばなれをなくすか考えないといけない。
●あまり変化していないように見える田園地帯でありますが、見かけなくなった動物や生き物がいるので自然や土地を大切にしたいと思う。
●水害を除けば、自然と農業生産の豊さが自慢。
註1 『都市の清流…思川を歩く』思川の自然調査委員会(小山市教育委員会 1994)
渡良瀬遊水地と、コウノトリについて
ヨシが生えている遊水地の景色が好きです。
コウノトリが来てくれて、
地域も小学校も盛り上がって嬉しい。
・・・アンケート【4】のコメントより
アンケート【4】の「大切に守っていきたい小さな自慢」では「コウノトリの存在」を選んだ人が最も多く(1位:146名)、次いで、「隣接する渡良瀬遊水地の自然環境」(2位:118名)、「遊水地のヨシとヨシズ産業」は(12位:35名)でした。ここでは、生井地区の皆さんにとって渡良瀬遊水地はどんな場所であるかを整理します。
⑴ 高い認知度・関心度:アンケート【2】より
渡良瀬遊水地の歴史、自然、コウノトリについて「(よく+まあまあ)知っている」「(とても+まあまあ)関心がある」のどちらも61%〜70%。
⑵ 会話での出現率は世代差がある:グループインタビューの記録より
頻出名詞リスト(報告書 基礎資料完全版4-1資料)より。
①遊水地/渡良瀬遊水地:50/60代(40回)>70/80代(35回)>農業
従事者(20回)>子育て世代(10回)
②コウノトリ:農業従事者(25回)>50代60代(20回>子育て世代(10回)>70代80代(7回)
③ヨシ: 70代80代(13回)>50代60代(6回)> 他(0回)
⑶ 関わり方に世代差がある:グループインタビューの記録より
70代より上の世代にとっては、昔、遊水地や川沼は、収入源(ヨシやマコモ、魚類などの収穫と販売、加工)であり、生活や生業との結びつきが強い場所でした。50代60代にとって、昔は学校の帰りなどに立ち寄り遊ぶ場でもあり、近年(2017年)の冒険家の石川仁さんと子供たちが遊水地のヨシで葦舟をつくるプロジェクトも記憶に新しいところです。現代の子育て世代30代40代においては、日常的な関わりは薄れますが、「海に行くことと同じような効果がある」「命の選択ができる」リフレッシュの場だという声もあります。
3-3無くしたい、解消したい困りごと〜水害と人口減少による担い手の不足
アンケートの設問【5】で「無くしたい、解消したい、解決したい困りごとは、何でしょうか?」と問い、4回のグループインタビューでの聞き取りをもとに用意した選択肢から3つを選んでもらいました
「水害の不安」「避難経路や避難場所の問題」で全体の4割、地域活動や農業、祭りなどの「担い手の不足」で3割を占めています。担い手不足については最後の章で述べ、ここでは水害についてグループインタビューで語られた、生井地区ならではのコメントを紹介します。
●生井地区は、高低差が複雑で独特。ハザードマップでも実情とあっていないところもあり、ここは大丈夫と思っていても、あっちのほうが実は高いとか。坂の下なのに、ここは水がこなくて実はあっちのほうが水がくるということもある。
●地区の外からここに来た身なので、そこがすごく分かりづらい。地形、高低差が独特なので。
●避難所にたどり着くまでが、大変な時もある。豊田の避難所への道で、3箇所くらい水没箇所があってと行けないことがあった。
3-4 地域コミュニティについて
次に、地域と人、人と人の関わりに焦点を当て、調査結果をみていきます。生井地区には、公民館に集う地区の有志や小学校の教諭やクラブなどがつくった地誌がいくつもあり、これらも世代を超えて、地域と人を結んでいると言えます。
これまでの歴史や伝統を尊重しつつも、
若い人や女性の思いが
反映されるような地域であってほしい。
・・・アンケート【4】コメントより
ここでは調査結果をもとに3つのトピックのさわりだけを紹介します。
詳細については、最後に紹介する「基礎資料 完全版」(P61〜)をお読みください。
⑴ 人間関係、友達関係の結びつきが強い。コメントを4つ紹介します。
●生井出身者は、大人になっても同級生の仲間意識が強い。
●他地区から移り住んだ。子供と散歩をしていると知らない人でも声をかけてくれる。安心して子育てがしやすい地域という印象。
●幼稚園も小学校も小規模だからこそ、目が行き届く。手厚い安心感がある。
●生井は、人の協力がある。地域で「一つの目的に向かう力」があると感じる。
⑵ 地域の寄合や互助活動が廃れつつあるが・・・。
伝統的な地域の寄合(おべっか)は、年長者を中心に「大切に守りたい」、若い世代を中心に「負担になるので無くしたい」という声があり評価が分かれますが、お互いの考えを思いやる声も多くあります。
⑶ 地区の青年部が立ち上げた新しい祭り「あんずっ子サマーフェスタ」(2012〜)。全自治会を繋ぎ、生井地区全体の祭りとして、8月に下生井小学校の校庭で開催(現在はコロナで休止)。グループインタビューでは、どの世代からも、地区の新しい親睦とコミュニティ再生の場としての期待が語られていました。
4|田園環境都市ビジョンへの手がかり
最後に、現地調査と簡易社会調査から生井地区の主な特性をまとめ、生井地区に暮らす方々の視点と声から、小山市域全体で総合的に考えてゆく「田園環境と都市環境の調和のとれた持続可能な小山市のまちづくり」への手がかりの整理を試みます。
4-1 大切に守りたいこと、解消したいことの繋がりを読み解く
4-2 最後に、生井地区住民の方々のメッセージをいくつか紹介します。