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未来につなぎたい大切なものは? 〜それぞれの視点で持ち寄る広場〜 未来につなぎたい大切なものは? 〜それぞれの視点で持ち寄る広場〜

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“イグサー”を生んだ
祇園城通り、畳店の物語

今は未来、2050年2月。

ここは小山市の御殿広場、「イグサ祭り」の会場だ。[イグ]サとタタ[ミ]のゆるキャラ「いぐみん」が、子どもたちに囲まれている。会場を見渡すと、広い芝生のあちこちに「ござ」を広げてピクニックをしている人たちの姿がある。

記者(50) : 「私たちが学生だった令和5年頃は、白い布を広げて、籠やオシャレな食べ物を持ち寄ってインスタ映えを楽しむ『おしゃピク』っていうピクニックが流行ってたけど、今は布やレジャーシートを広げてる人全然いないね 。」

いぐみん : 「今は、みんなござでピクニックだよ!レジャーシートよりも自然の素材でできたござの方が芝生にとってもいいって言われてて、会場でもござのレンタルやってるよ。」

記者 : 「そうなんだ!今は『#おしゃピク』から『#ござピク』の時代になったんだね! あ、ここは体験コーナー?」

いぐみん: 「子どもたち向けに、畳の小物作り教室をやってるの。イグサの吸水性(註1)を活かしたペットボトルホルダーとか、脱臭性(註2)を活かしたイグサの履物『イグサンダル』作りとか。」

記者 : 「やってみたい! 縫う作業がちょっと難しそうだけど、見た目もオシャレで“普段使い”しやすそう!」

いぐみん :「こっちは、食べ物コーナーだよ。イグサを使ったソフトクリーム、ドーナッツ、ピザ、…あ! 『 立堀タタミ内装&iipan』のブースに行列ができてるよ。あそこのイグサパン、元祖だからねぇ!」

記者 :「そう。私達が28年前、白鴎大のゼミ生時代に最初に取材でお邪魔したのも、あのお店だったんだーーー」

畳屋のせがれと、パン屋のレディーが出会ったら

左がパン屋・右が畳屋のオシャレな入口。令和4年、初取材時に撮影

今から38年前の平成24年、隣のパン屋と一体になっている珍しい畳屋が、小山駅西口近くに開店した。店主の立堀裕保さんは、それ以前は、畳作りの制作技能士の資格を取って実家の畳屋で腕を磨きながら独立の道を探っていた。

その独立前時代、裕保さんが仕事のあとで足を運んでいたお気に入りの店が、近所の小さなパン屋。その店を営む綾子さんとの出会いが、裕保さんの考え方を大きく変えた。それまでは、畳作りの原材料は「安く仕入れられればそれに越したことはない」と思っていた。だが、綾子さんが「iipan(イイパン)」という店名の通り、全粒粉や自家製粉で原材料から考えてパンを作っている姿を見て、“iitatami”(イイ畳)を作るには「畳も農産物だから、同じように考えて取り扱っていかなければ」と考えるようになった。

 やがて2人は結婚し、並んで店を構えた。「せっかくだから、パンと畳をコラボした何かができないかな」と考えていた時に、たまたま熊本県のイグサ農家で食用のイグサを栽培している人と出会った。イグサは、食物繊維がたっぷり!(註3) 何よりも、「畳の原料であるイグサは、食べられるほどに安心な素材なんだ」と知ってもらえる。そう思った立堀夫妻は、綾子さんのパン屋でイグサを使ったアンパンやマフィンを製造販売するようになった。

黒胡麻をまぶした、イグサ生地のあんパン。令和初期の姿のまま、今でも大人気!
[写真提供:iipan]

私達が初めてお店を訪ねた令和4年の時点では、イグサの生産地である熊本県でもイグサを使った食品はまだソフトクリームくらいで、立堀夫妻は「イグサのパンを販売しているのは日本でウチだけ」と話していた。だがそれから1〜2年後には、このパンを食べたお客さんの口コミをきっかけに、「ヨモギと抹茶の間の味がしてお菓子にも最適」とクックパッドでも話題となり、イグサの粉末パウダーを使ったクッキーやパウンドケーキなどのアレンジレシピも登場。スーパーマーケットの野菜コーナーにも置かれるほど、食用イグサは普及していった。

さなチャレンジに、大変動の予兆が


一方、同じ令和4年当時、メンテナンスや手入れが必要な畳本体の人気は下降が続き、住環境の変化で「畳を知らない世代」も増えて、裕保さん達を苦しめていた。「先行きが見えない」と暗い気持ちになりがちな中、「そこを何とかしよう」と全国の畳屋の若手世代が創意工夫を凝らし、畳を加工して龍の絵を描く人、和紙の畳でイグサではできないカラーバリエーションを提案する人など、様々なアイデアが生まれ始めていた。

裕保さんの、令和4年製の新作たち。上段のブックカバーのカラフル部分が、畳縁のアレンジ。

そんな中で裕保さんも同年3月、「畳自体に興味を持ってもらいたい」と、思川桜と思川をデザインした畳縁(たたみべり)を発売。このデザインをヘアゴムやブックカバーなどに活かし、手に取りやすい小物から畳に関心をもってもらう“きっかけ作り”に取り組んでいた。私達もこの時、畳表で作られたブックカバーをいただいたが、イグサの香りを感じながらできる読書は、どこにいてもリラックスしながら本が読めて最高だった。

 こうした様々な小さなチャレンジが、やがて畳の使い方の正に“歴史的”な回帰へと広がっていったのだ。それは、裕保さんが私達につぶやいた、こんな発想の転換から始まった。―――「畳って、敷き詰める和室から飛び出しちゃってもいいんじゃないかな」

初取材時、記者(手前)につぶやく裕保さん。その一言が、大転換に結実した。

畳の使い方、千年の時を巡って原点に戻る


実は千年前の平安時代には、貴族や皇族など身分が高い人が、自分達が寝たり座ったりする時に板敷きの床に畳を置いて使っていた。やがて室町時代になると、部屋に敷き詰めて使うようになり、江戸時代には庶民も同様に使うようになった。ところが現代では、和室に敷き詰めずにフローリングの上に数枚の畳を置いて使うようになっている。これってつまり、平安時代の畳ができた頃の使い方に戻ってきているではないか!

更に畳が“敷き詰め型”から完全に飛び出すきっかけになったのが、2030年頃に登場した「折りたたみ畳」。平安時代の人が日向で昼寝したい時に、日の当たる場所まで畳を持って移動しくつろいでいたように、今ではお年寄りでも軽々持ち運べ、収納もコンパクトにできるレジャーシートのような薄い畳でくつろぐようになったのだ。

畳む発想が無かった頃は、この1畳が基本サイズ。とても重くて運びにくかった。
 

この変化に伴って、手入れの必要がない和紙でできた畳が増加していくと、逆にイグサでできた畳ならではの価値も見直されていった。イグサの畳は、湿気を草が吸い取ってくれるし、乾燥してきたらその湿気を外に出してくれる。部屋の匂いも吸着してくれるし、あの香りによるリラックス効果・安眠効果を期待して、香水やお香、入浴剤などもヒット。店内がイグサに包まれたくつろぎ空間の“イグサカフェ”、車内のシートが畳で出来た “和カー”も登場した。

イグサ畳をこよなく愛する人々は “イグサー”と呼ばれ、ござピク(ござでピクニック)することは今や“ござる”と言われている(「昨日は御殿広場でござった」とか)。

今や家庭の玄関には、傘立てのように“ござ立て”が。今度の週末は、どこでござろうか?

――令和4年当時、「自分達が種をまいて畳の良さを広めたい」と話していた裕保さん。今、立堀夫妻がまいた種は、全国各地で芽を吹き始めた。これからまた次の千年も、イグサや畳は後世の人々に愛されていくに違いない。
〔白鴎大学地域メディア実践ゼミ(2023年当時)/岩崎朱里・粂川美菜・中村花菜〕

仕事に打ち込む立堀裕保さん。千年後の畳作りにも、まだ職人の手作業はあるのかな?

註1 出典=「イグサのすべて」
 (北九州市立大学 森田洋教授 著 : 新芽出版/2008年) P.113
註2  出典=同書P.96
註3 出典=同書P.10

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