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よみがえった、小山のヨシ生産業
今は未来、2050年9月。
小山市生井地区でヨシズなど様々なヨシ(葦)の製品作りを元気に続けている生産農家の、池貝孝雄さん(95)・将大さん(64)親子を訪ねた。
取材班が初めて池貝さんにお会いしたのは、今から28年前(令和4年)、私たちがまだ白鴎大学メディア実践ゼミの学生だった頃のこと。当時、夏に家々が日除け用にヨシズを立て掛ける風景は日本社会からほとんど消えていて、小山市のヨシズ生産農家は池貝さん1軒だけという“絶滅危惧種”の瀬戸際にあった。
だが、その後の頑張りで今では何軒か同業者も生まれ、あの頃は考えてもいなかった新しいヨシ活用法のアイデアも次々に生まれて、人気の「渡良瀬遊水地ブランド」の1つにまで蘇ることができた。この間の出来事を、まとめて振り返ってみよう!
◾︎気候変動が、逆風から追い風に
もともと1955年(昭和30年)頃、孝雄さんのお父さんが、冬の農閑期に東京へ出稼ぎに行く周りの農家を見て「自分は目の前にあるこの渡良瀬遊水地の自然をうまく利用したい」と思ったのが、池貝家のヨシズ生産農家としての歴史の出発点だった。孝雄さんによると、当時は「数百人ではきかないくらい」の人がヨシズに関わっており、収穫前に行われる「ヨシ山」(ヨシが生えている場所)の権利を競って買う入札では、「入札金だけで、何百万というお金が動いた」という。
だが、最盛期は続かない。次第に極端化していった気候変動が、池貝さん達を苦しめていった。豪雨の多発で遊水地の本来の目的である溜め池機能が働いてヨシ山が水没したり、逆に少雨でカラカラに干上がったり―――適度な湿地の環境を好むヨシは、どんどん育ちにくくなっていった。特に2021年には、大切なプロセスである「ヨシ焼き」(ヨシ原一体をきれいに焼き払って、古いヨシを一掃する作業)が、異例の悪天候で3回連続延期の末にとうとう中止に追い込まれ、生井地区では、ヨシが前年の半分も取れないピンチに見舞われた。
しかし、それからしばらくする頃から、意外にも気候変動は逆にヨシ農家にとってプラスに働き始めた。あまりにも相次ぐ豪雨で、下流域の洪水対策が大規模に強化された結果、渡良瀬遊水地の溜め池機能は以前ほど必要とされなくなり、ヨシの水没被害は減っていったのだ。それにより遊水地では、再び安定したヨシの[供給]を確保できるようになった。
さらに、温暖化はヨシの[需要]も増やす事になった。今や、北日本の夏もとにかく暑い。かつては夏でも涼しくヨシズに馴染みのなかった北海道からも、池貝さんの所にヨシズのネット注文が入るようになった。もちろん、関東はもっと暑い。2010年代の後半に小山市が小中学校のすべての教室に日除け用のヨシズを配ったのを皮切りに、県内外の各地の学校やオフィスなどから注文を受けている。
そして、2022年から毎夏たびたび発出されるようになった電力需給ひっ迫警報。ますます節電が求められる中で、「ヨシズを日除けに使うと、冷房代が何円節約できるのか」を計算してくれるAI技術が誕生! 太陽光発電システムと同じような仕組みで、スマートフォンのアプリ「今日もヨシ(良し)」から今月の節約額を簡単にチェックできるようになった。よしずの購入費は約3500円と初期費用がとっても安いため、「これなら買った方が得だ」と設置する家庭がじわじわ増え、今や“夏と言えばヨシズ”という家を見かけるのも、珍しくなくなった。
かつては、大きくて重たいヨシを各家庭で汗をかきながら広げて立て掛けていたが、現在はブラインド型のヨシズが窓や出入口に備え付けられているので、小さい子でも簡単に広げて使えるようになった。ヨシズは、1回1回「設置する」時代から常に「設置されている」時代になったのだ。
◾︎アイデアの芽が花開き
―――渡良瀬のヨシズから、世界のYOSHIZUへ
ヨシズだけではない。脱プラスチックの流れの中で、様々な小物で次々にヨシが代用されるようになっていった。きっかけとなったのは、2000年頃から長野マラソンで応援の小旗の持ち手がヨシになったこと。2022年の時点ではアイデアでしかなかったヨシのストローも、それからまもなく渡良瀬ブランドのストローとして商品化され、全国の喫茶店などで目にするようになった。
「木の建築」ブームに乗って、新しく建てられる建物(ドーム会場や博物館など)の外装や内装にもヨシはデザインの一部として多用されている。そこでは、クネクネのヨシも大活躍! 2022年の取材時点では、ヨシの質が低下して、ヨシズ作りに向く直線的な物が年々減っていることが問題になっていたが、当時池貝さんがつぶやいていた「くねくねしてるヨシが逆に良かったりするようなアイディアがあるかもしれない」という発想の転換が、デザイナー達に受け入れられていった。
2030年頃から各地のキャンプ場では、ヨシをおしゃれに使って作られたテントが、グランピングしたい女性に人気。夜はランプの灯りがヨシの隙間から放たれ、写真映えすると「#ヨシグラ」というハッシュタグまで出現し、超話題のアウトドア商品となった。
日本人だけでは無い。コロナが明けて戻ってきた外国人観光客の間では、持ち帰りやすい小型サイズのヨシズを中心に、ヨシを使ったインテリアやファッションアイテムなどが日本的なお土産として大人気に。「YOSHIZU」という英語までできた。
最近ではヨシの加工技術も向上し、ヨシを使ったバッグや靴も作られるようになった。昨年行われたフランスの「パリコレ2049」では、なんと池貝さんの所で生産されたヨシが使われた服が登場!「YOSHIZU Fashion」として世界的に話題となり、SNS上でも「クールなアイデアだ」「涼しげで夏にはピッタリ!」などと大きな評判を呼んだ。勢いに乗って、今年の4月にはヨシを使った新たなファッションブランド「Yosi-Asi」(善し葦)も誕生し、再び話題になっている。
◾︎ヨシのアサッテ、見通しヨシ!
もう1つ重要なのは、ヨシズの社会貢献だ。2011年の東日本大震災の時、被災者用仮設住宅の日よけ用に池貝さんがヨシズ200枚を寄付したのがきっかけとなり、2020年代半ば以降、自然災害が多発する中でいくつもの都道府県から災害時の仮設住宅建設に備えたヨシズの注文が相次ぐようになった。
特に、2022年の時点で「30年以内に70%の確率で発生する」と既に言われていた首都直下地震がやはり起きてしまった後は、大被害となった東京の仮設住宅でのヨシズの需要が激増し、都の大量買い上げは小山の生産農家が増え始めるきっかけとなった。プレハブの暑さや殺風景な外観を和らげるヨシズは、被災者の人たちにわずかでも安らぎを提供している。
―――2022年当時、「自分の技能が年々高まっていくのが面白い」と目を輝かせていた3代目・池貝将大さん。進化を重ねて約30年、2050年の今ではすっかりヨシズ作りの名人となった。近年は製造工程の機械化も進んだが、初代から受け継いできた昔ながらの匠の技と組み合わせながら、これからも渡良瀬のヨシは人気を広げ続けていくに違いない。
〔白鴎大学地域メディア実践ゼミ(2022年当時)/岩崎朱里・牧野甘那・泉浦光〕
メディア実践ゼミ・下村健一先生による「ミニ解説」もあわせてお読みください。
>>〜未来発!おやまノート《ミニ解説》〜 アサッテから振り返り、未来と今日を繋げよう