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風土性調査レポート 風土性調査レポート

私たちが暮らしている地域の足元を見つめ直してみませんか? 〜小山市11地区「風土性調査」レポート〜 私たちが暮らしている地域の足元を見つめ直してみませんか? 〜小山市11地区「風土性調査」レポート〜

20年後30年後の⼩⼭の未来を描くために、
まずは私たちが暮らしている地域の⾜元を⾒つめ直すことから。

⾵⼟性調査は、⼩⼭市全体やそれぞれの地域の⼤地の成り⽴ちや
⾃然、⽂化、伝統、地域のコミュニティのあり⽅などを、
フィールドワーク、⽂献調査、聞き取り調査、
アンケートなどを通して描き出し、
その総合的な地域の姿を「⾵⼟」として
地域の皆さんと共有するための取組みです。

⾵⼟性調査は、⼩⼭市と調査の専⾨家、そして地域のみなさまと共に、令和3年度の先⾏調査・⽣井地区に続き、令和6年度までの3年間で11の地区の調査を順次進めていきます。ここでは、その報告をお伝えしていきます。

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絹地区 Kinu

調査実施予定:令和5年11月〜令和6年1月
高椅神社参道の端に位置する千年の池から上福良、中福良を望む。2024/01/19

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田園環境都市おやまビジョンづくりに向けた小山市11地区の風土性調査 
絹地区 報告レポート「基礎資料・概要版」
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絹地区の風土性調査について
「風土」とは、地域の自然に対して人間が暮らしと生業を通して、働きかけることでかたちづくられる、人々が生きる環境のこと*を言います。人々が生きる環境、それは私たちの身近な世界、生活世界のこと**でもあります。

地域の風土(生活世界)を 、あらためて把 握するために 、
①地理学や民族学的な視点で地域を見て歩く「踏査」(現地調査)
②アンケートや聞き取りを行う簡易社会調査
③小山市史や研究論文などにあたる文献調査
これらを組み合わせた風土性調査 を実施しています。

絹地区は令和5年11月から令和6年1月の期間に調査を行いました。
この概要版は、その調査成果の報告レポート「絹地区 基礎資料」から主なトピックを抜粋し、一部に加筆を加えたものです。報告書の完全版(A4版94ページ)やアンケート集計結果報告書(同・39ページ)は、最後に紹介するリンクから閲覧ができます。

*註1:出典 薗田稔編『神道』(弘文堂、1988年)
**註2:出典 アルフレッド・シュッツ、トーマス・ルックマン『生活世界の構造』(筑摩書房、2015年)

1|絹地区の概況

小山市の基本地形と絹地区の位置
西から思川低地、宝木(たからぎ)台地、鬼怒川低地が並び、宝木台地の東を鬼怒川、西を思川が流れています。絹地区は小山市の北東部に位置し、おおよそが鬼怒川低地の上にあります。

出展|国土地理院 地理院地図 http://maps.gis.go.jp/ (廣瀬改変2024年)

小山市の北東部に位置。
地勢や交通が、伝統産業の確立に結びついた。

絹地区は、明治22年(1889)の町村制施行にあたり田川村、延島村、延島新田、高椅村、福良村、中島村、中河原村、梁村の八ケ村が合併した絹村をもととします。地区の面積17.28km2は市の面積の約10.1%、人口4,354人は市の人口の約2.6%を占めます。(令和2年10月1日現在。「令和5年3月 小山市の概要」より)。古来交通の要衝に当たる小山市の中でも、中島、福良に鬼怒川の河岸と渡船場があり、結城より多功街道(日光東街道)、上三川街道が通された絹地区は、鬼怒川や隣り合う結城と関係して結城紬の生産地域の一角を占めるなど地勢や交通が伝統産業の確立に結びつく独特な歴史をたどりました。

今日の絹地区は、旧村に由来する8の大字名を擁しながら、北から延島、福良、梁の大きく3地区に分けられています。このうち工業団地(延島、梁)が市街化区域に指定されます。

2|鬼怒川低地の繊細な土地利用

絹地区の西部は宝木台地の上に立地しますが、大半は鬼怒川低地にあります。低地では、微高地で集落と畑が、川がかつて流れた跡である旧河道やあふれる水に運ばれた土砂が積もった氾濫平野では水田が、それぞれ営まれてきました。

地形分類図を立体的に見る。大地を掘り、上流から土砂を運び下ろして、鬼怒川が地区の基本地形をかたちづくった。出典: 国土地理院|地理院地図(廣瀬改変2024年)

鬼怒川にかたちづくられた地形と
何種類かの土に合わせて、
繊細に作物が作り分けられてきた。

微高地に集落と畑、旧河道と氾濫平野に水田をもうけてきた絹村の成立当時の状況としては、鬼怒川沿いの村々ではきわめて畑が多く、北部の村でわずかに田が、中央部から西南部にかけての村々ではわずかに畑が多かったとのことです。台地には火山灰に由来する黒ボク土、低地には河川の堆積物に由来する沖積土(褐色低地土、灰色低地土、低地水田土)が主に分布し、全体には平坦な地形ながら微細な高低差や土壌の違いに合わせてさまざまな作物が作り分けられ、キウイフルーツやいちごをはじめとして新たな作物の生産への取り組みが続けられてきています。

また、鬼怒川沿いと地区西部の桑地区との境に平地林が集中し、一定の面積が確保されて肥料や耕作に用いた牛馬の飼料その他に事欠くことがなかったといいます。さらに、田川を水源として幾筋かの用水が整えられていたことも合わせて、明治26-28年の米の三ヶ年平均反収は現小山市域を構成する10町村の中で最高の値を示すなど、農業生産の条件に恵まれてきました。

3|結城紬の生産地域の一角を占めること

絹地区が隣り合う結城では古来絹糸を採って織り物が行われてきました。鬼怒川沿岸の土が養蚕に向き、川そのものは人と貨物の通運に使われたことが関係しますが、この条件は絹地区にも共通しました。

福良と共に鬼怒川の河岸が位置した中島集落を鬼怒川右岸の堤防から見下ろす。2024/01/23

鬼怒川沿岸の結城や絹地区などではクワ科のカジノキやコウゾがよく育ち、そこへクワを栽培する養蚕技術が持ち込まれたと伝わります。絹織物、結城紬はその副業に始まり、茹でた繭をほぐして作る真綿から手紡ぎした絹糸を、5世紀頃から日本で使われてきた地機で織る伝統的製造工程を継承し、それが昭和31年(1956)に国の重要文化財に指定され、平成22年(2010)にはユネスコ無形文化遺産に登録されています。

ただし、結城紬の生産量は昭和55年(1980)以降減少し、令和4年(2022)には栃木県内で唯一クワの苗を専業で生産していた農家が廃業しています。しかしながら、明治21年(1888)の記録では、農業と結城紬の生産の展開があって絹地区では多種の職業が成り立ち、それらは今日的には持続可能な地域産業群といえ、このことも地区の将来像を描くうえで参考とすべきと考えられます。

左: 結城紬の地機 (いざり機) CC BY-SA 3.0 Moraykaita (2007年5月)  https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=56997298
右: 結城紬亀甲柄 CC BY-SA 3.0 Moraykaita (2007年5月) https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=133200379

4|絹地区での暮らしと意識

絹自治会のご協力で、11月末に1354世帯にアンケートを配布し、948名(70.0%)から回答をいただきました。インターネット上でも21名の方から回答をいただきました。また、26名の方に聞き取り調査にご協力をいただきました。その成果から一部を抜粋し、この章では住民の方々の声も交えながら紹介します。

4-1 アンケート調査からの報告
アンケートの設問【 1 】【 2 】の集計結果をもとに、絹地区で暮らす人々の出身地、移り住んだ経緯や理由、生活圏、地域資源への認知度・関心度についてまとめました。

自治会の回覧を通してのアンケートでは、地元出身の方のご協力が多くなりますが、絹地区でも6割を超える方が絹地区で生まれた方でした。地区外から移り住んだ方の理由は、記載されたコメントによると、①実家や親との関係で②結婚を機に③仕事の関係で・・・が上位を占めました。「自然が豊かで良い中古物件が買えたから」というかたも数名いらっしゃいました。

●地域資源への認知度・関心度
絹地区では、歴史、自然、農業のどれにおいても、これまでに調査を行った他地区に比べ、地域のことを知り関心がある方が多く、特に農業への認知度が高いことが特徴です。

●生活圏
以下の3種類の行動で出かける地域を訪ねた質問の回答、上位3地域を示します。休みの日についての問いは2つ選択可とし、表の数字は回答者のうち何%がその地域を選んだかを表します。絹地区では道路状況と隣接している理由から結城市ととても結びつきが強いことがわかります。買い物や休日の外出以外でも、医療機関がない絹地区では結城市の病院を利用する人も多く、小山市への医療補助の申請が必要となり、負担や手間に感じる方も少なくはありません。

4-2 無くしたい、解消したい、絹地区の困りごと
アンケートの設問【4】で「無くしたい、解消したい、解決したい困りごとは、何でしょうか?」と問い、聞き取りをも とに用意した選 択 肢から3つを選んでもらいました

生活の利便性の向上を願う
上の2種類のグラフが示すように、絹地区のみなさんにとっては、日用品や食品を買える店がほとんどないこと、医療機関がないことなど生活の不便さが大きな困りごととなっています。車でそれらがある地域へ出かけることももちろんできますが、高齢者の独居世帯が増え、免許返納後の不安が募っている様子が自由記述からも伺えます。子育て世代も、仕事や子供の送迎などで忙しく、他の市や地区までで出かけなければいけない時間の確保が難しい場合もあります。さまざまな活動の担い手不足も深刻な問題となっています。

次に、絹地区の解消したい困りごとについて、アンケートの設問【4】に寄せられたコメントとグループインタビュー (①自治会長のグループ②子育て世代のグループ③農業従事者のグループ④養蚕関係者のグループ、合計26名)で語られたご意見の一部を紹介します。

風土性調査報告「絹地区 基礎資料」(II踏査及び文献調査による報告)より。

近所のコンビニがなくなってしまい、
子供達が安全に買い物に行ける場所がなくなった。

—アンケート【4】自由記述より

買い物の不便、公共交通の不備など生活環境を改善したい
●3つまで選ぶとあるので絞り込みに苦労しました。問題が多いかと。無医村、交通手段の不足、高齢になっても免許返納はできません。●高齢化に応じた対策をお願いしたい。デマンドバス…いいようで良くない。前日予約制というのは利用者からはいかがなものか

人口減少と、地域運営や農業の担い手不足が心配
●農業振興地域であることから、市街化調整区域が多く、宅地開発どころか既存の宅地に自由に家が建てられないなど、後継者の定住や新規参入者が制限されて人口増加を阻害している ●班の数が多く、年寄りしかいないので若手の仕事が増える。班を少なくしてほしい ●放棄地になる麦畑も増えていく。後継者いない+市街化調整区域で外からも入りにくい。これでは廃れるばかり ●新住民からの農作業の音などへの苦情がある。住宅地を開発する不動産会社などが「ここは昔からの農業地」と説明して売るべきでは? ●JR小金井駅まで出るための交通手段が無い、農業後継者がいない、耕作放棄地増加、高齢化、役割負担の強制などムラ社会の暮らしにくさなど、子育て世代から敬遠され、未来が無い。将来の食料の安全保障を考えると、この地域で若い世代に農業をして貰えればと希望します 

4-3 大切に守っていきたい、絹地区の小さな自慢
アンケートの設問【5】で「大切に守って行きたい、絹地区の「小さな自慢は何でしょうか?」と問い、聞き取りをもとに用意した選択肢から3つを選んでもらいました。

先人から受け継いできたものを守りたい
史跡、神社、お寺、祭りや伝統芸能、風習、古木など、先人から受け継いできたものを大切に守り、未来へ繋ぎたい。絹地区の皆さんのそんな意識が現れた結果だと言えます。選択肢単独で見ると「地域の農業」が2番目となっていますが、養蚕が盛んだった頃から今に至る絹地区の農業も、まさに、先人から受け継いできたものと言えますし、コメントには「結城紬」も多く挙げられています。また、年代別の集計では、どの年代においても「地域に残る歴史ある史跡、神社やお寺」を選んだ人が最多という結果になりました。守り、継いでいくために何ができるか、地区にとっても小山市にとっても、大切なこれからの課題だと言えます。


次に、絹地区の大切に守りたいことについて 、アンケートの設問【5】に寄せ らたコメントとグループインタビュー (①自治会長さんのグループ②子育て世代のグループ③農業従事者のグループ④養蚕関係のグループ、合計26名)で語られたご意見の一部を紹介します。

風土性調査報告「絹地区 基礎資料」(II踏査及び文献調査による報告)より。

大切なものを守っていけるように、
行政の支援等々、人口減少に対応できる

諸々の公正・平等な改善が急務!
 —アンケート【4】自由記述より

先人たちから受け継いだ歴史あるもの
●昔からの伝統を守りつつ、新たな取り組みも必要ではないかと思います。新しいことも受け入れつつ、伝統を守る地域の取り組みを ●結城紬の保存はなんとしても必要 ●寺野東遺跡が小さな自慢 ●高椅(たかはし)神社の歴史及び神楽 ●高椅神社は地域の宝である。どのような形になっても引き継いでいくべきと思う 
地域の農業
●絹地区の農家の方もいちごや麦などの生産に力を入れていると思うので、知名度がもっと高くなると嬉しい ●苺栽培も盛ん。1戸当たりの生産面積は栃木県で一番では? ●自慢できるのは田園風景くらいかもしれない 
地域のコミュニティ〜消防団や自治会活動など助け合いの活動
●年輩の方の優しさ ●過去に絹地区を守り、育んできた諸先輩方のご苦労を思うと大事にしたいと思います 

5 |田園環境と都市環境の調和がとれたまちづりへ

次に、アンケート集計結果より、「 2 0 年後 、3 0 年後の小山市の望ましい都 市環境のあり方について」尋ねた【 7 】の結果を紹介します 。例示した小山 市の将来像 7項目について、それぞれ「そう望む・どちらかと言えば 望む・どちらかと言えば 望まない・望まない・わからない 」から選んでいただきました。絹地区の皆さんからの、未来の小山市への視点です。

田園地帯での共通性と絹地区の特性
7つの項目を支持・共感者が多い順(「そう望む」「どちらかと言えば望む」の割合の合計が高い順)に並べると、絹地区の結果は以下のようになります

1: 76% (56%) (F)公共交通機関の整備や、徒歩や自転車で安全・快適に
  移動できるまちづくりが進む
2: 72% (45%) (B)地域の農業が大切にされ、地産地消が進み、市域内の食
  料自給率が上がっている
2:72% (41%) (E)空き家の改修や利活用が進み、あるものを大切にした
  住宅整備やまちづくりが進む
3:69% (39%) (A)商業・工業が発展し、工業団地も増え経済的な成長や活
  力が重んじられている  
 
4: 67% (42%) (G)車社会に対応して、駐車場やバイパスの整備など、車で
  の移動が快適になる      
5: 66% (32%)  (C)環境保全型の農業によって自然環境も良好に保たれ、コ
  ウノトリも増えている
6: 63% (41%) (D)空き地や平地林などに新しい宅地開発が進み、定住する
  若い世代や移住者が増える  

上位3項目に「公共交通機関の整備」「農業重視」「空き家の利活用」の順で並ぶのは、豊田・大谷南部・桑地区でも全く同じ結果となっていますが、太字にした項目(A)については、他の田園地帯の地区では7項目中6番目となっいるところ、絹地区ではそれより上の3番目になります。これは市域の田園地帯の中でも最も切実に「経済的成長や活力」を望む意識があることの現れであるといえそうです。

過去 ・ 現在・未来をつなぐ「 結城紬」の可能性

4ページで掲載した内容に加え、風土性調査の文献調査と現地調査における結城紬に関する報告する部分のスライドから3枚を抜粋して紹介し、結城紬と養蚕関係者のグループインタビューでのお話しを少し紹介します。

●養蚕と紬の全盛が昭和40年から50年くらいで経済的にも潤っていた。青年団であちこちの地方の交歓会に行く時、特に女性はわざわざ着ていく服を東京に買いに行っていた ●父と母が織元で織り子さんも住み込みでいた。大変さばかりが目について継ぐ気はなかったが、いろんな経緯で今は継いでいる ●せっかく桑・絹と地区名もあり南に下れば結城市があり、シルクロード。なんとか廃れさせたくない ●養蚕は仕事が豊富なので分業制もできるし一貫してやることもできる。勤務先の社会福祉法人(桑)では知的障害者の方々が仕事の1つとして養蚕に取組む。職員から職員に引き継げば後継者問題は無い ●絹義務教育学校では1年生から9年生まで一貫して、関係者が指導に行き体験する機会を設けている。蚕を育て繭を作る、糸つむぎ、染め、織り(コースターを作る)までを行っている。

次に設問【7】の自由記述欄(30年後へのご意見)に寄せられたコメント全件で多用された言葉を紹介します。テキスト マイニングという解析ツールによるキーワードの抽出です。基本的には語られた回数が多いもので大きく表示され、調査 対象に特徴的に使用される固有の単語は重視される統計処理法が用いられています。一つの参考としてご覧ください。

主なキーワードごとにアンケートやインタビューのコメントを少し紹介します。

後継者:●農業地域で若者は住みにくい絹地区です。長男夫婦は3年住んで、今は駅前のマンションです ●長男さんが嫁さんがいない人が多い
農業:●飛地のように有機農家が増えていくと慣行農家がやりにくい。オーガニック特定地域を作ってはどうか? ●農業の六次産業化を目指し、付加価値を高める事が有効かと思う。市街化調整区域による制限内でも開発許可を得ることができるような援助も必要。工業団地(梁)の再開発に伴う企業流入に対応できる商業施設の増加(コンビニなど) ●退職した人達が家庭菜園を楽しんでいます。人と人とのふれ合い、コミュニケーションも産まれます。安心安全な野菜を知人達にあげるととても喜ばれます。畑での孫たちと一緒の時が幸せ。人の命、自然ふれあいを大切にしたまちづくりを望みます ●学校給食の納豆は地元のSさんの大豆が使われていることけっこう自慢です!子どもたちはちゃんと理解してくれているかなー? 
自治会●「どんど焼き」をやっている自治会、「十五夜のぼうじぼ」が続いている集落も。高学年の子は覚めているが最後にお小遣いを山分けする時に盛り上がる!
空き家:●農業や自然は小山市にとってかけがえのない資源だと思うのでそれは大切にしつつ、空き家や空き地、利用されていない建物等を地域に根付いた利用方法で利用していき、若い世代もお年寄り世代も住みやすい小山市になっていって欲しい
施設:●福良地区には学校や出張所があり、梁地区は小学校跡地が野球チーム利用で活性化に役立っている。懸念しているのは、延島。延島小学校の跡地が地域の私たちと全く無縁の状態になっていることが残念。
人口減少●ここに生まれ育ち、良いところがたくさんあることも知っていながら、だんだん寂れていく地域を見ていて、非常に危機感を持っている。絹地区の皆さんの一人一人が、この先この地域がますます取り残されてしまっているような、非常に寂しい思いをしている。この良い機会になんとか活性化していくための努力をみんなでしていく必要がある思っている。

大切なものを守っていけるように、
行政の支援等々、人口減少に対応できる

諸々の公正・平等な改善が急務!
—アンケート【4】自由記述より

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  • 絹地区・風土性調査報告書「基礎資料・完全版」(A4サイズ、全94ページ)は、こちらからPDFでお読みいただけます。
  • 絹地区「アンケート調査 集計結果 報告書」(A4サイズ、全39ページ)は、こちらからPDFでお読みいただけます。