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風土性調査レポート 風土性調査レポート

私たちが暮らしている地域の足元を見つめ直してみませんか? 〜小山市11地区「風土性調査」レポート〜 私たちが暮らしている地域の足元を見つめ直してみませんか? 〜小山市11地区「風土性調査」レポート〜

20年後30年後の⼩⼭の未来を描くために、
まずは私たちが暮らしている地域の⾜元を⾒つめ直すことから。

⾵⼟性調査は、⼩⼭市全体やそれぞれの地域の⼤地の成り⽴ちや
⾃然、⽂化、伝統、地域のコミュニティのあり⽅などを、
フィールドワーク、⽂献調査、聞き取り調査、
アンケートなどを通して描き出し、
その総合的な地域の姿を「⾵⼟」として
地域の皆さんと共有するための取組みです。

⾵⼟性調査は、⼩⼭市と調査の専⾨家、そして地域のみなさまと共に、令和3年度の先⾏調査・⽣井地区に続き、令和6年度までの3年間で11の地区の調査を順次進めていきます。ここでは、その報告をお伝えしていきます。

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豊⽥地区 Toyoda

調査実施:令和4年5⽉〜7⽉
古代より人が暮らし、古墳の上に社が建ち、 鎮守の杜が残り、周りには水田が広がる。豊田地区を象徴する1つの風景。篠塚稲荷神社。 (2022/06/04)

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田園環境都市ビジョンづくりに向けた小山市11地区の風土性調査  
豊田地区 報告レポート「基礎資料・概要版」
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豊田地区の風土性調査について
「風土」とは、地域の自然に対して人間が暮らしと生業を通して、働きかけることでかたちづくられる、人々が生きる環境のこと*を言います。人々が生きる環境、それは私たちの身近な世界、生活世界のこと**でもあります。
地域の風土(生活世界)を 、あらためて把 握するために 、
①地理学や民族学的な視点で地域を見て歩く「踏査」(現地調査)
②アンケートや聞き取りを行う簡易社会調査
③小山市史や研究論文などにあたる文献調査これらを組み合わせた風土性調査 を実施しています。

この記事は、その調査成果の報告レポート「豊田地区 基礎資料」から主なトピックを抜粋し、一部に加筆を加えた「概要版」です。
報告書(基礎資料・完全版)やアンケート集計結果報告書は、追って、この記事の末尾にリンクを貼って公開します。

註*:出典 薗田稔編『神道』(弘文堂、1988年)
註**:出典 アルフレッド・シュルツ、トーマス・ルックマン『生活世界の構造』(筑摩書房、2015年)

1豊田地区の概要

小山市の基本地形と豊田地区の位置

西から思川低地、宝来(たからぎ)台地、鬼怒川低地が並び、宝来台地(図中、着色)の東を鬼怒川、西を思川が流れています。豊田地区は、小山市の北部(北西)に位置します。

出典|国土地理院 地理院地図 http://maps.gis.go.jp/(廣瀬改変2022年)

小山市北部( 北 西 )に位置。
思川・巴波川源流域のある 足尾山地に近接します。


小宅、大本、小薬、松沼、卒島(そしま)、荒川、黒本、島田、上初田、今里、立木、渋井の12村が明治22年(1881)の町村制によって、合併し成立した豊田村をもととする豊田地区の面積は20.92平方キロメートルで、市の面積の約12.2%を占めます。地区の人口7,201人は、市の人口の約4.3%にあたります(令和3年4月1日現在。「令和3年度版小山市統計年報」より)。

地区は、思川(おもいがわ)や巴波川(うずまがわ)が流れる思川低地と呼ばれる地形の上にありますが、これらの川の源流域が位置する足尾山地に近く、思川の河床の傾きは特に両毛線鉄橋から上流側で大きく、地盤の高さは海抜約28〜44mとなります。河床の傾きが大きいと水の流れは速くなり、川は砂や粘土より大きな石を運べ、地区では直径3cm内外の円い石が川の他に水田などにも見られ、川が流れを変えながら地形をかたちづくった跡がうかがえます。

地 域 の 自 然 と 、自 然 へ の 人 の 働 き か け に つ い て

2-1 湧水帯に多くを占められた豊田地区

『小山市史 通史編I』に「卒島から島田付近は、湧水帯を形成し」と書かれています。加えて、より上流側の小薬 にも湧水池があります。このように、豊田地区の方々に水源地が分布しています。

小薬遊水池。小薬(2022/07/27)「思川低地の卒島から島田付近は、湧水帯を形成し、それを水田に利用することも行われていた」。 出典|小山市史編さん専門委員会編『小山市史 通史編I 自然 原始・古代・中世』小山市 1984年

思川中流域の低地の地形や
湧水を繊細に生かして
土地が利用されています。

思川の流域の半分は山地が占め、雨がふれば広い範囲から水が集まり、土砂を運び下ろして、巴波川などと共に、流れる先を方々へ変えながら土砂を振りまき、思川低地をかたちづくりました。土砂の積もり方には高低差があり、先人は自然堤防と呼ばれる微高地に集落を築きました。集落は、冬の乾いた北西の風に備えて植えられた木々や、防火、防犯を兼ねた生垣などの緑が豊かで、水田や麦畑がつくられた低湿地、田園に浮かぶ島々のように見えます。

思川は、山地から急に低地に流れ出す川で、豊田地区のあたりまでは河床の傾きも比較的大きく、山地を流れる上流域、両毛線鉄橋または乙女大橋の辺りまでを流れる中流域、生井地区と間々田地区の間を流れて渡良瀬川との合流点に達する下流域に分けて考えられます。地区では、思川中流域の低地の細かな地盤の高低や湧水帯などのある環境が土地利用に繊細に生かされているといえます。

2-2 自然と歴史への人々の暮らしの重なり

湧水池や川から水を引く水路の部分は、地区内の各地で環境保全活動の対象とされ、多世代にわたる生活者が 親密に交流しながら、身近な水域にすむ生き物の生育環境を守っています。

左:思川駅周辺地区 ( 思川駅北口 )(2022 / 06/ 02)  
右:同駅南口の小山環状線沿い (2022 / 06 / 02 ) 。松 沼

豊田地区も交通の要所とされてきました。近世には、思川、巴波川の河川交通の他に栃木道が立木、松沼、卒島を、壬生通りが黒本を通り、明治21年(1888)開業の両毛鉄道小山駅-足利駅間で、同44年(1911)に思川駅が新設されました。この後、自動車の利用に対応して広域を結ぶ道路は集落から離され、それによって集落の中の道路は生活空間としての性格を色濃く持つようになったといえます。
人々は庭や納屋の一部を道路に面して開き、寺社の境内やそこに設けられた公民館、集会所とその前庭は、道路に連なる広場のように使われ、折々には人々の交流活動が広場や道路、および道路に沿った農業水路の傍らで行われ、田園に浮かぶ緑の島々のような集落に、人間的な公共空間が備わるに至っています。

地 域 と 、人 々 の 心 身 の 結 び つ き

3-1 豊田地区で語られるキーワード

簡易社会調査では、自治会加入全世帯を対象としたアンケート(大問7、回答1,151通・回答率66.7%+インターネット回答17件)、グループインタビュー(①自治会リーダーの方々②地域活動の代表者の方々③子育て世代 の方々)を実施しました。この章では、その住民の方々の声も交えながら紹介します。

上 図 : 3つのグループインタビューの記録テキスト85,991字から、 テキストマイニングという解析ツールでキーワードの抽出を行った結果。大きく表示されている単語ほど、グループインタビューの中で語られた回数が多い。
上 図 : アンケート接問の【4】【5】【7】の自由記述の回答文37,572字から 、上図と同様に頻出キーワードを抽出したもの。 * 基礎資料(報告書P55 )参照

3-2 豊田地区の大切に守り未来に繋ぎたいもの

アンケートの設問【5】で「大切に守っていきたい、豊田地区の「小さな自慢」は何でしょうか?」と問い、3回のグループインタビューでの聞き取りをもとに用意した選択肢から3つを選んでもらいました。

全回答者でのデータは上図の通りですが、年代別(20代/30代/40代/50代/60代/70代以上)による集計でも、若干の違いはあるものの選択された項目の順位に大きな差が見られません。また、どの年代でも、自然環境、風景、農業に関する項目で6割近くを占めています。グループインタビューでの聞き取り内容をもとに選択 肢に加えた「子どもたちが伸び伸びと育つ環境」への共感も高い結果になっています。一方で、そのような環境や風景などをもたらす基盤といえる「産業や生業としての農業」を大切に守りたいものとして挙げた人は40名にとどまりました。先に調査を終えた、同じように田園環境が広がる生井地区でも同様の傾向がありました。
また、豊田地区では、グループインタビューでもよく語られた「おおらかな気風」や豊かな環境の中で子どもたちが「のびのびと育っている」様子についてが、アンケート調査でも回答者の2割強/3割強の方が多くの選択肢の中から「大切の守りたいもの」として選んだ結果になっています。次に、その視点も加味しながら「自然環境・農業」と「寺社・まつりや伝統芸能」に言及します。

大切に守り未来に繋ぎたいもの~「自然環境・農業・風景に関すること」について

左 : 思川堤防と実りの季節を迎えた麦畑(2022/06/04) 右 : みた東部保全会の立木塾(上立木)が手入れを続ける紫陽花(2022/06/04)

こんなに自然とともに生活できる場所は 他にないと思い、
豊田地区に移ってきました。
麦と米の成長、満天の星、最高です!
子どもたちも大好きな地域です
アンケート【5】のコメントより

●豊田地区に移り住んだ理由
アンケケート【1】06では、豊田地区に他所から移り住んできた人やUターンした人に、その理由を尋ねています。
最多が「結婚のため」、次に「自然の豊かさや広々とした環境に魅力を感じて」が多く、「自然が豊かで、子どもを育てるのに良い環境のため」などの子育て世代の声があります。 続いて「親の面倒を見るため」「実家の敷地に家を建てることになった」など家庭の事業が挙げられています。

●年長者から語られた、かつての農業の共同作業
グループインタビューでは、70歳以上の方々からは、昔の農業について、田植えや稲刈り時に、子どもたちも(学校は農繁休業)総出で集落内や近隣の住民で順番に助け合って農作業を行う様子や、その作業のお疲れ様会的な寄り合いの思い 出 が「田植えの後、みんなで夕食を囲む “ さなぶり(早苗宴)” は 楽しかった」などと語られました*。

土地改良と機械化が進んだ現代では、かつてどの農村でも当たり前のように行われていた「結(ゆい)」とも呼ばれる共同作業は、農作業そのものでは減っていますが、おおらかで争い事がないという気風とともに、「農地・水・環境保全向上対策」事業**での農村環境の保全活動(写真上右が一例)などで 続いていると言え、各集落単位でさまざまな活動が展開されています。


註 * : 基礎資料(報告書「 III 3 – 1グループインタビューの記録」)参 照 。
註**:同「II2-4 現地調査と文献調査による報告」参照。

大切に守り未来に繋ぎたいもの~「各地域に残る寺社や祭り、風習」と「地域コミュニティについて」

上荒川地区八龍神社。奥に公民館と、滑り台や鉄棒の遊具が見える*。(2022 /06 /24)
アンケートの【7】自由記述では、「豊田地区には無い大きな公園を望 む」声もあるように、小山市発行の「小山市公園ガイドブック」には、豊田地区に公園の記載がありません。しかし、このような空間が集落ごとにあるのも豊田地区の特質であり、地域コミュニティの維持に無縁ではないようです。 註*:基礎資料P14参照
桶田地区の生き物調査。小学生・中学生、親世代、祖父母世代の三世代が揃って活動を続けている。( 2022/07/24)

これから年寄りが増えてくるので、
防災、助け合いをする活動が 今まで以上に必要と思います
アンケート 【 5 】のコメントより

●集落の寺社や公民館を拠点とした地域コミュニティ 祭りや風習については、グループインタビューで「寅薬師」「初午祭(飾り馬・大太神 楽」「お別火(べっか)」「お囃子」などの話を伺えました。その中で「神社は、昔の子 どもの遊び場だった」とのお話もあり、今の若い世代の、地域の寄合や祭事の要と しての寺社離れを懸念されていました。しかし、アンケート【3】の地域資源の認知 度・関心度を尋ねる質問の回答では、30代40代は地域の歴史や寺社に対して、認 知 度は低くても(30 代 : よく / まあまあ知っている : 8 % )、関心度は低くない(30代:とても/まあまあ関心がある:33%)傾向が見られます。

また、現地調査では、上の写真のように集落で大切にされてきた神社と同じ敷地に、公民館がつくられ遊具が設置され、手入れが行き届いた空間になっているところを複数確認できています。多世代が自然と寄り合える拠点の存在から、未来への可能性も見えてくるようです。

3-3 無くしたい、解消したい困りごと~「生活環境の不便さ」と「担い手不足」

アンケートの設問【4】で「無くしたい、解消したい、解決したい困りごとは、何でしょうか?」と問い、3回のグルー プインタビューでの聞き取りをもとに用意した選 択 肢から3つを選んでもらいました 。

アンケート結果に関連して、特筆しておきたいことを2点記します。

● 狭い道路や未舗装の道路について
課題と考えているか否かは、集落により若干の差異が見られます。大字ごとの集計で見ると、困りごととして選んだ回答者が多かったのは、大本・渋井・荒川・立木・松沼で、選択肢の中で 1番目の回答者数となっています。少なかったのは、卒島(5番目)、今里(6番目)です。 
●獣害について
現代の獣害に繋がる昭和期のことをグループインタビューで伺えました。
◎(前略)思川で砂利を取る工事があった時(中略)、それが大きな原因で地下水が下がったと聞いている。◎昭和 20年後半から30年前半、思川から思川駅前まで馬車で砂利を運んでいるのをよく見ていた。◎東京や大都市の道路をつくるのに思川駅から汽車に積んで運んでいた。◎砂利をとったから、河原に土だけが残った*。 そこが草ぼうぼうになって、今はイノシシが棲むようになっている。
都市部の開発のための農村部での事業が、数十年後にどのようなことに繋がるか、示唆に富むエピソードだと言えるかもしれません。

* 註 : 基礎資料( 報告書 P 6 )参照

3-4 豊田地区から、小山市域全体の将来像への視点

次に、アンケート集計結果より、「20年後、30年後の小山市の望ましい都市環境のあり方について」尋ねた【7】の結果を紹介します。
例示した小山市の将来像7項目について、それぞれ「そう望む・どちらかといえば望む・どちらかといえば望まない・望まない」から選んでいただきました。豊田地区から、小山市域全体の未来への視点です。

このグラフは、(A)〜(G)の各項目について「無回答」の数を除外した集計結果になっています。「無回答」の数を含めた集計結果については「アンケート集計結果報告書」でご覧いただけます。

経済的、環境的、社会的に
持続可能な開発に取り組んでほしい。
都市的生活と農村的生活の共存など
アンケート【5】のコメントより

● 積極的開発より、あるものや農業を大切にした小山市に
大きな差異が出たわけではありませんが、総じて「商業・工業が発展し経済的に
成長すること」「空き地や平地林に宅地造成を進めること」より 、「農業・環境保全を大切にすること・空き家などあるものの利活用をすること」への支持・共感が高い傾向にあります。また、車社会としての利便性より、車がなくても移動しやすい環境 を望む声が上回っています。この傾向は、回答者の7割近くを占める50代以上の意見が反映されているかというとそうでもなく、40代以下の世代も同様の傾向を示しています。
●問【7】の自由記述に寄せられた都市環境のあり方についてのご意見は、主に次の 5つに分類できました*。
①自然環境の保全を望む意見
②田園環境と都市環境の バランスを大切にしたいという意見
③郊外エリアの開発を望む意見
④農業に関 するさまざまな意見
⑤交通/移動の利便性に関する意見。
* 註 :アンケート集 計( 報告書 P 48 ~ )参 照

田園環境都市ビジョンへの手がかり

4-1 大切に守りたいこと、解消したいことの繋がりを読み解く

最後に、調査から見えてきた地区の方々の視点と声から豊田地区の主な特性をまとめ、それらの関係性を読み 解きながら、「田園環境と都市環境の調和のとれた持続可能な小山のまちづくり」への手がかりを考えます。

4-2 豊田地区の特性とこれからの展望について~グループインタビュー記録とアンケート自由記述より

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  • 豊⽥地区・風土性調査報告書「基礎資料・完全版」(A4サイズ・全65ページ)は、こちらからPDFでお読みいただけます。
  • 豊⽥地区「アンケート調査 集計結果 報告書」(A4サイズ・全64ページ)は、こちらからPDFでお読みいただけます。