02

コラム&レポート コラム&レポート
未来につなぎたい大切なものは? 〜それぞれの視点で持ち寄る広場〜 未来につなぎたい大切なものは? 〜それぞれの視点で持ち寄る広場〜

05

太々神楽、世界に舞う

今は未来、2050年 11月。

人気でなかなか手に入らないチケットをなんとかゲットして、有名な篠塚稲荷神社の太々神楽(ダイダイカグラ)を見に行った。明治から今なお続く篠塚稲荷神社の舞は動きが速く、 役によっては飛んだり跳ねたりと、とにかく迫力があるのだ! 特にキツネやひょっとこは動きが軽快で、餅を配ったりみかんを投げる場面では観客を翻弄する。私たち取材班もキツネから手渡しで餅を受け取ろうと手を伸ばしたが、キツネは簡単には渡してくれない。この日一番の盛り上がりを見せた。

今から28年前(令和4年)、白鴎大学メディア実践ゼミの学生だった当時の私たちが初めてこの神社を訪ねた頃は、太々神楽は神様に捧げる神楽として、主に祭りなどの機会でだけ演じられていた。全国あちこちの神社にそれぞれの太々神楽が存在したものの、“太々”という名前とは逆に細々(ほそぼそ)と続けられている所が多かった。篠塚稲荷でも、元々伝承されていた12座(12個のお話)が令和4年の時点では10座に減ってしまい、年6回ほど 披露の機会があったのが年2回になるなど、少しずつ縮小していた。

それがなぜ今や、海外からの注目も高い日本の有名エンターテインメントの一つとなったのか。ここまでの道のりを振り返っていこう!

きっかけは、クラウドファンディングへの賛否両論

明治の中頃から、豊田地区の中村という小さな集落の人たちによって伝承されてきた篠塚稲荷の太々神楽。減りつつあったとは言え、令和4年時点でのレパートリーを通して舞うと一日を要するほどの長さだった。お面をつけ、小さい穴から見えるわずかな視界の中で踊るしかないので、移動は歩数で覚えたりもする難しさ。衣装やお面の修理に一回何十万円とかかる、維持費の厳しさ。少子高齢化が進み、その時点で既にわずか30軒ほどだった中村集落の人だけで守っていくことの限界。——初取材の私たちが目にした様々な要因は、先行きが厳しいピンチの状態を物語っていた。

2022年当時の衣装。この伝統を守りつつ、新たに…

だがその取材からしばらくして、状況を打開すべく、まず資金問題の対策としてクラウドファンディング(インターネットによる募金集め)の試みが始められた。ただ「太々神楽を継承し盛り上げていきたい」と訴えるだけでは今までと変わらないので、「古来の形の神楽はそのまま残しつつ、新たに現代的なものも取り入れるチャレンジ募金」を呼びかけた。募金の使い道として掲げられたのは——

*ロック調やポップな雰囲気など、音源に合わせてパステルカラーやモノクロな色味のお面や衣装も作りたい。
*舞と連動したプロジェクションマッピングや神楽と光のコラボレーションなど、よりダイナミックな演出を取り入れたい。
*資金提供してくれた人へのリターン(返礼)として、募金者だけに新時代の神楽を初披露するイベントを作り、直接参加・オンライン配信・DVD 配布を行いたい。

——など。このチャレンジは、「新たな挑戦」「伝統の破壊」と有名人を巻き込む賛否の論争を呼んだことで注目を浴び、その効果で目標金額を超える資金が集まった。これが、太々神楽が人気となる、大きな一歩となったのだ。

地域も年齢も ——ターゲットの幅を拡げて

2022年にはまだ、神楽師たちは皆「中村集落」の住人だった

資金対策と同時進行で、人手不足対策も動き出した。令和4年当時にはまだ神楽師たちの中でも「中村集落だけで継承していきたい」という声があり、私たちもその思いの強さを応援していたのだが、やがてついに継承に必要な最少限の人数を下回ってしまい、やむを得ず2つの事が始められた。

第一が、聖域だった募集地域の拡大。大本・松沼・小薬…と豊田地区全域に広げて参加者を募るようにしたところ、今までやりたくても出来なかった熱意のある人たちが集まって、 結果的にその後のチャレンジがもっと盛り上がる要因のひとつになった。

第二は、学校へのアプローチの強化。将来の担い手誕生を期待して、子供たちに神楽を披露する機会を増やしていった。特に、地元のある小学校が、「地域とともに育つ」という考え方から運動会の種目に神楽を組み込んだことは、弾みとなった。飛んだり跳ねたり見ごたえがあると話題を呼び、これをきっかけに、太々神楽を本格的にやりたいと思う子供たちが増加。やがて、その子たちが進学した小山市内の各高校に「神楽部」という部活が次々に生まれ、定期的に神楽師達が巡回して指導に行くようになった。

本格的な練習を積んで毎年文化祭で発表される高校生たちの神楽は、SNS でも「映える」 とたちまち話題となった。篠塚稲荷神社の太々神楽では、演目中に餅をまいて子どもたちが舞台の下で競って拾い集めるのが習わしだが、この文化祭では代わりにお菓子が投げられる。地元だけでなく県外からも観客が来るほどの人気となり、神楽部目当てで高校に入学する生徒も出現、神楽の継承志願者も増えていった。

文化祭での菓子投げの原型は、昔からの餅まき
狐に翻弄される取材班(2022年)。これが各高校の神楽部にも継承された

「カネ」と「ヒト」が増えたら、やれる「コト」も増えた

こうして、資金難や人材難に少しずつ明るさが見え始めた太々神楽。以前から神楽師達 は、「とちぎ秋まつり」などでお囃子も披露していた。太鼓や笛を使った演目は迫力があり、 交代しながら何分も演奏し続ける。2組が同時に演奏し、相手につられず演奏し続けることが出来たほうが勝ちという競演もあり、「ここの太鼓は大きく、手ごわい。だから相手が嫌がるんだよ」などと誇らしげに神楽師は語っていた。担い手が増えたきたことによって、このお囃子もショッピングモールや道の駅などあちこちで披露できるようになり、それがまた新たな参加希望者を生むという好循環が生まれた。

また、あのクラウドファンディングでの公約でリニューアルされた新しい神楽も、話題に。 ダイナミックな演出やトレンド感のある衣装、「面白おかしく笑ってもらえるような工夫も」 という若い神楽師たちの発案でコミカルな要素も盛り込んだ「篠塚稲荷 NEW 太々神楽」の動画は、TikTok でバズった。これをきっかけに、TikToker たちと神楽がコラボした動画配信もスタート。情報が少なかった太々神楽について、解説を入れてストーリーなどをわかりやすく説明した動画は、「まるでミュージカルみたい!」とたくさんの若者たちの目に留まった。もともと各地の神社によって特徴が異なる太々神楽だが、他の神社の演目も紹介することで違いなども見やすくなり、より興味をひくものとなった。

「とちぎ秋まつり」に参加する神楽師たち(2022年)。この賑わいが、「神楽 FES」へと進化した。

全国がつながり、世界にもつながり

篠塚稲荷神社の大胆な改革によって演出や衣装の幅が拡がったことで、各地の太々神楽も刺激を受け、個性の差は更に大きくなっていった。そのことで「それぞれの神楽をまとめて観たい!」という声が高まって誕生したのが、神楽界の最大イベント「神楽 FES(フェス)」。 会場では様々な神社の神楽が披露され、その地域の名物の食べ物が販売されている屋台も立ち並ぶ。観客の多くは、自分の好きな神楽、言わば「推し神楽」のタオルを肩にかけるなど、グッズを身に付けて盛り上がる。

YouTube などで海外にも知られるようになったので、「神楽 FES」を目当てに来日する人も増え、神楽をやりたいという外国人も出現。日本人に比べ体格の大きな人が多いため、派手な動きがよく似合い迫力あるインターナショナル神楽が各国に生まれた。最近、アメリカと台湾での公演も決定し、販売と同時にチケットは完売。海外公演先は徐々に拡大している。こうして、歌舞伎などと並んで、太々神楽は日本の有名なエンターテインメント(伝統芸能の一つ)となった。

初めて取材した当時「今やるだけで精一杯」と言っていた神楽師たちだが、めげずに続けていくこと約30年。神楽師も観客も若年化し、2050年の今では、こんなに世界で認知される日本芸能となったのだ。

——そして、今日。50才近くなった私たちが久々に篠塚稲荷神社に見に行った太々神楽は、学生時代に見たときと変わらぬ昔ながらのスタイルだった。そう、様々なチャレンジの一方で、古来の舞もまた大切に保存されて来たのだ。やっぱり、伝統もいいな。進化を続けていく太々神楽だが、こうして古くから伝わるものもしっかりと残しつつ、歩みを続けていってほしい。

〔白鴎大学地域メディア実践ゼミ(2022年当時) / 牧野甘那・川野辺茜・三浦藍香〕

今も2022年当時と変わらない、伝統バージョンの太々神楽

【2022年に戻って ——指導教授からのミニ解説】
    *ゼミ生たちの編集後記は>こちら

《2050年の時点に立ちきって記事を書く》というコンセプトの、[未来発!おやまノート]。 今回もゼミ生たちは、現場の取材結果をもとにまず「こうなったらいいなぁ」という未来像を設定し、「それを実現するためには、その前に何が必要か」をさかのぼって考えていきました。

盛んになっているためには、神楽を舞う担い手がいるよな。→それには、若者が参加しなきゃな。→だったら、地元の高校に神楽部ができたらいいな。→それには、その前に小中学生の時からの働きかけが欲しいな。→だったら、運動会が起点になるぞ!

というふうに、現在(令和4年)に向かって逆算=バックキャスティングをしていった思考経路が、文面から伺えます。

そうして出てきたゼミ生たちの描く世界があまりに楽しそうなので、つい参加したくなって、私も今回は4つだけアイデアを紛れ込ませてもらったことを自白します。

●「細々」というオヤジギャグ(すみません…)
●クラウドファンディングの成功原因として、「賛否が分かれた」という要素を加えること
●運動会の話のところに、ある実在の学校のスローガンを引用して現実との接続を強化すること
●ラストでもう1回、冒頭の神社訪問シーンに戻ること

これ以外は全て、ゼミ生たちの原案です。「言うは易し」だと批判していただくこともまた、「ならば、どうするか」を考える起爆剤となれば幸いです。

〔白鴎大学地域メディア実践ゼミ / 指導教授 下村健一〕



>>「未来発!おやまノート」の記事一覧ページへ