02

コラム&レポート コラム&レポート
未来につなぎたい大切なものは? 〜それぞれの視点で持ち寄る広場〜 未来につなぎたい大切なものは? 〜それぞれの視点で持ち寄る広場〜

18

間々田地区-取材後記「地名から空き店舗まで、眠っている”芽”は沢山あって」

「間々田地区の商業の未来を想像するのは、テーマが大きくて難しそう…。」と最初は不安でいっぱいだった取材班。しかし400年近く続く祭りや、ロマンティックな地名、長い歴史をもつ美術館、老舗の和菓子屋などなど、ここには魅力がいっぱい。取材を重ねるごとに30年後のイメージがどんどん膨らみ、たくさんのアイディアが生まれました。取材の中で一番印象に残っているのは、住民の方の「あまり変わらないでほしい」という思い。そんな今ある”住みやすさ”を守りながらも発展していった間々田地区の未来を、ぜひ本編でお楽しみください!

>>間々田地区・本編は、こちらへ

今回は、本編で書ききれなかった2024年時点のお話をご紹介します。

歴史を語る『車屋美術館』

「車屋」美術館の由来は、江戸〜明治時代の乙女河岸で小川家という豪商が営んでいた肥料問屋の屋号が「車屋」であったことからきています。美術館を建てる際に車屋という言葉があるだけで、間々田の歴史や人の繋がり、地区の特色など、地域の人がパッと思い出せるようにこの名前にしたそうです。しかし、この由来を知らないで来館した人の中には、「自動車がある美術館」と勘違いされていたことも…。また小川家住宅は、古き良き建造物を残していく国の「登録有形文化財」として平成19年に登録されました。これには建築後50年を経過した建造物を対象としていること、地域の歴史的景観であることなど、様々な条件はありますが、外観を大きく変えなければ内部を改装することも出来るそうです。

小川家住宅廊下 (提供/小山市立車屋美術館)

時代に対応していく『乙女屋』

私達が取材で訪れたのは、乙女屋本店ではなく、「ショコラテラス Kokage」という乙女屋の系列店。乙女屋は新たな取り組みも行っており、今はKokageの他に4つのブランドを展開しています。

ショコラテラスKokageは、チョコレートブランド店であり、店内に入るとショーケースに並ぶ「こかげショコラ」達が宝石の様な煌めきを放っていて興味津々でした。そんなこかげショコラを取材後になんと試食させていただく事ができました!コーティングされたチョコと中のトロリとした濃厚なチョコがマッチしていてとても美味しかったです。

ショーケースに並ぶこかげショコラ達

今回取材に応じてくれた4代目店主の渡辺利之さん(53)が、3代目から和菓子だけでなく洋菓子の販売も開始した時のことに関しても語ってくださいました。その当時の周りからの反応は「和菓子を残して欲しい。」という声がずっとあったそうです。そんな中渡辺さんは、「未来を作っていくのが経営者の仕事」であると考えており、過去にあるものを残すだけでなく、時代に合わせて新たな価値も提供することが店が生き残るために必要であると語ってくれました。

また、商品開発をする上でも、若者をターゲットにすると幅広い年代が利用するというスタバのような現象から、「若者の感覚に合わせるのは難しいが、自分の感覚よりも若い方にしていかないといけない」と大変さを話してくれました。商品開発をする際に、渡辺さんのお子さん達に商品の相談や試食もお願いして商品開発に役立てているんだとか。

時代の変化に対応した店づくりをしている渡辺さん。本編では「るかんた〜と」なんて私たちが勝手に創作しちゃいましたが(すみません)、実際には今後どのような商品・店舗を展開していかれるのか、とても楽しみです。

繋がる”場”や”仕掛”を求めて

生まれも育ちも間々田の、間々田5丁目自治会長渡邉一郎さん(72)に、取材終わりに間々田地区を車で案内していただきました。商店街や、じゃがまいた会場の間々田八幡宮、乙女河岸跡、そして住宅地やスーパーの集まる地域など…。渡邉自治会長はひとつひとつ丁寧に説明してくださいました。

乙女大橋のたもとに保存されている乙女河岸跡

商店街は、ほとんどのお店が閉店しシャッター通りに。この空き店舗を利用し「医者のモール街ができたらいいよね」と呟かれた渡邉自治会長の一言から、本編では商店街が「間々田かかりつけ医ロード」に生まれ変わりました。

渡邉自治会長は「自治会がずっと残ってほしい」と、自治会の存在の重要性を強くお話してくださいました。災害が起きたとき、隣近所に誰が住んでいるかわからないことが一番困るそう。だからこそ自治会に入り、班や住民どうしの繋がりを作ることが大切なんだとか。

地図を見ながら商店街の場所などを説明してくださった渡邉自治会長

「繋がる”場”や”仕掛”みたいなものがあると、地域はやっぱり繋がりが強くなるし、治安も良くなるし、みんなが顔見知りになっていいんじゃないか。」そんな”場”や”仕掛”として、間々田地区の子供から高齢者を繋ぐ役割を果たしているのが、伝統の祭り「じゃ(蛇)がまいた」。未来までずっと続いてほしいとみんなが口を揃えます。現在は7町内会が参加していますが、少子高齢化により存続が心配され「乙女からこのような場が無くなってしまうのは寂しい」と不安がる声もあります。

しかし今年5月には、間々田八幡公園に「蛇」がモチーフの遊具が完成。いずれは、間々田地区にじゃがまいた伝承館が開館する予定だそうで、じゃがまいたをこれからも盛り上げようと取り組まれているのです。未来の子供達のためにも、無くならないでほしい祭りです。

弁天池で水を飲む蛇(じゃ)と、見守る大勢の人々。今年も五穀豊穣じゃ!(提供/風景社)

ロマンチックな名前の『思川』と『乙女河岸』、歴史を語る『車屋美術館』、時代に対応していく『乙女屋』、地域を繋ぐ『じゃがまいた』、再活用可能な多くの建物が並ぶ通い慣れた『商店街』…間々田地区にはたくさんの可能性が秘められていました。

変わっていく中でも変わらずに、間々田地区は2054年も住みやすさを守り続けているでしょう。

白鴎大学地域メディア実践ゼミ(竹居あいみ 若菜恵実 鈴木菜仁 森愛果)

—————————

>>「未来発!おやまノート」の記事一覧ページへ