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過去〜現在〜未来の視点で武浩美さんを紹介します
市民コラム「おやまの小さな自慢ダイアリー」、4期目として11月から寄稿していただく書き手のお一人、間々田地区乙女にお住まいの武浩美さんを紹介します。
武さんが生まれ育った乙女は、小山市域のほぼ中央を南に流れる思川が舟による河川交通に利用されていた頃、荷物の積み下ろしを行う拠点として河岸(かし)がつくられ栄えていたエリアです。
小山乙女河岸歴史公園に立つ展示ボードの説明によると、「乙女河岸の起源は戦国時代まで遡るとされ」、江戸時代には上流の河岸に集められた「城米や年貢米は、30〜40俵積み」の舟で乙女河岸まで。「乙女河岸からは400俵積みの高瀬舟に積み替えられ江戸へ輸送されました」「鉄道輸送の発達によって、昭和25年を最後に役割を終えることになりました」とあります。
武さんの祖父母は、その最後の時期まで船頭として乙女と東京を往復されていたそうです。関東大震災と時のご苦労や、下流の東京から乙女へ戻るときは、おじいちゃんが操る舟を、おばあちゃんが土手に上がり縄で引いて加勢していたことなど、お父さんを通して、武さんも聞いていたそうです。
J R小山駅前の商業施設で働いていたこともある武さんは「思川の河川交通の時代から鉄道の時代になって、そして車での移動の時代に移り変わって・・・、それに伴う商業や商店街の変化も、家族の歴史とともに自分のこととして、まざまざと見てきましたね」と語ります。
今年、武さんは、栃木県埋蔵文化センターが行っている小山市間々田地区の粟宮新都心区の発掘調査にスタッフとして参加しています。もともと平地林や畑だったところから、奈良、平安、中世の遺構が見つかっているとか。「楽しいですよ〜。出土するものを前にして、他の参加者と想像や妄想であれこれ話したり・・・。小山市の未来ビジョンを考える時に、グーっと時代を遡ったところからの視点も大切かもしれないと思い始めています!」と言う武さんが綴るコラム、楽しみにお待ちしましょう。