02

コラム&レポート コラム&レポート
未来につなぎたい大切なものは? 〜それぞれの視点で持ち寄る広場〜 未来につなぎたい大切なものは? 〜それぞれの視点で持ち寄る広場〜

21

わがまちのSDGsで、持続可能な“なか”よしを!

今は未来、2054年12月

小山市中地区は、『小山市地区別仲良しランキング』でついに第1位を獲得した。数年前から始まったこのランキングは、年に一度発表されており、地域内の住民交流会の回数や参加率、住民の定着率(転出の少なさ)などで評価されている。交流会は様々で、空き家や卸売市場を活用した企画や、小学生が育てた蛍の鑑賞会など、中地区ならではの催しがたくさん。若者からお年寄りまで幅広く参加している。かつては至る所で、住民の高齢化や後継者問題に悩まされていた中地区が、どうやってここまで元気になったのか?

転機となったのは、2030年。この年に目標期間を終えてゴールインした国連のSDGsを、「わがまち流に続けてみよう」と住民達で話し合い、3つの具体策に取り掛かったことだった!  

空き家をゼロに!「リユース」で集いの場を作る


私たちが初めて中地区を訪れたのは、今から30年前(令和6年)、私たちがまだ白鴎大学地域メディア実践ゼミの学生だった頃。中地区社会福祉協議会(以下、中地区社協)が行っているボランティア事業『だけボラ』が、同社協の活動計画の柱に据えられ、さらなる活動の充実を目指していた年だった。『だけボラ』は、地域の様々な小さな困りごとの中から「これ”だけ”なら出来る」という住民同士の無理のない「支えの仕組み」として誕生した。この地区に昔から受け継がれてきた“絆・支えあい・世話焼き”の気風の産物だ。2054年の今では、後にご紹介するカフェ事業『な~かふぇ』や『中っ子現代遊び交流会』などの活動が評判になり、多くの住民の助けになっている。

当時から『たっちゃん』の愛称で親しまれていた、中地区社協会長の玉野辰夫さんは、102歳になった今でも『だけボラ』の一員として活躍している。だが、初取材当時(令和6年)は「地域の繋がりが薄くなってきている」「30年後には自治体が消滅しているかもしれない」「学校が無くなるのは避けたい、地域にとっては中心的な存在だから」と、中地区の将来を大いに気にかけていた。

そこで打開策の一つとして実施されたのが、SDGsの目標12(つくる責任、つかう責任)を中地区流に当てはめた《空き家のリユース(再利用) 》による『交流の場』の確保だ。令和3年の時点では、小山市内で最も空き家が多い地区の「273戸」に対し、中地区は「21戸」と市内最少だった。だが、住民から「年々空き家が目立ってきている」という意見が多く寄せられるようになったことから、玉野さん達と小山市空き家対策係が相談。2030年、まずは1軒の空き家をリユースし、以前から交流のあった玉野さんと中(なか)小学校が中心となって、高齢者と子供の交流を目的に『中っ子元気クラブ』を設立した。

翌2031年には、『この遊び知ってる?~中っ子現代遊び交流会』の第1回が行われた。これは、子供たちが高齢者に『現代遊び』(2054年版だと、声と目で動くベイブレードや特殊カードで戦うVR対戦型メンコなど)を教えながら一緒に遊ぶというイベント。その誕生は、中地区社協が平成26年から続けている『昔遊び交流会』が発端だった。『昔遊び交流会』は、メンコやベーゴマなどの昔の遊びを、高齢者が子供たちに教えながら一緒に遊ぶというもの。その中で、子供たちから「逆に今の遊び教えてみたい!」という声が挙がったことがきっかけとなったのだ。夏休みと冬休みの2回開催されるこの交流会は、今年(2054年)でもう24回目。もうすぐ冬休みシーズンで誰でも参加可能なため、今や50代となった私たち取材班も参加してみようと思っている。

これにより活気づけられた高齢者たちは、かつて第1期の中地区社協活動計画(平成29~33年)の際に1度は断念したカフェ事業を復活させた。このカフェは空き家リユースの第2号として開店。『な~かふぇ』と名付けられ、中地区の高齢者と若者の繋がりを深める交流の場として多くの人が訪れている。こうした活動の成功を受け、空き家を活用して地域活性化を目指す動きはさらに強まり、中地区は今では小山市初の空き家ゼロ地区を目標に掲げている。

『だけボラ』を楽しげに語る″たっちゃん″会長(令和6年)

ホタルが生息できる環境の豊かさを守ろう


一方、今から53年前の平成13年、中小学校では自治会や学校職員の方々によって『蛍を観る会』が開催されるようになった。元々この会が作られたのは、子どもたちが総合の学習の時間を使って蛍のことを調べ始め、もう一度巴波川(ウズマガワ)に蛍を復活できないかと考えたのがきっかけだった。当初は、大人も子供も知識がない状態からのスタートだったため、手探りで調べるところから始まった。

そして私たちの初取材(令和6年)の時点では、構成メンバーが結成時から変わらず若手の新加入が無い状態で、当時会長の塚原貴志さんは「首の皮一枚で繋がっている現状をどうにかしなければ」と高齢化による後継者難に悩まされていた。

この状況を打開すべく、SDGsの目標15(陸の豊かさを守ろう)を中地区流に当てはめて2030年に考案されたのが、《小山市役所脇の御殿広場西側下の水が滲み出ている箇所にビオトープを設置し、蛍を育てる》というプラン。塚原さんを筆頭に中小学校と小山市役所の職員が協力して中小学校から御殿広場へと蛍の引っ越しが始められた。最初は育てられるのか不安に思われたが、少しずつ規模を拡大し、2040年には『蛍の里』という蛍支援事業団体もできた。現在では思川や渡良瀬遊水地など市内の様々な場所で蛍が見られるようになり、小山市に蛍を目的に訪れる観光客は年々増え、名物となっている。 

『蛍の里』は、蛍シーズン前の6月初旬から中小学校の児童たちと一緒に成虫になるまで育て、最後に御殿広場のビオトープに放すという協力体制を今も続けており、中小学校は元々の“蛍の母校”というポジションが受け継がれている。初取材当時の中小学校は児童が少なくなりつつあり、隣接校との統合も考えられ始めていたが、蛍のおかげで知名度は徐々に高まり、日本各所から蛍に興味を持った子どもたちが入学したいと集まって、今では児童数も増加に転じている。

中小学校のビオトープを見せて下さる、当時の軽部校長先生。ここが蛍の実家的存在

コールドチェーンでホットな繋がりを


もう一つ、中地区活性化の拠点となっているのは、栃木県南地方卸売市場だ。かつては業者向けの市場だったが、平成23年8月から一般消費者へも市場を開放。マグロの解体ショーや模擬せりなどを行う『市場祭り』も開いて、一般の方でも訪れやすい市場を目指すようになった。コロナによる中断再開後は、『市場祭り』を『感謝祭』に改名し、毎月第2・第4土曜日には『元気朝市』もスタート。更に2050年からは、『小山市地区別仲良しランキング』の発表開始がきっかけで、地元と協力し中地区限定イベントを第1・第3土曜日に実施している。

このイベントには今、特に人気な催しが2つある。一つ目は、『夏休み・場内ひんやりラジオ体操』。

SDGsの目標9(産業と技術革新の基盤をつくろう)の中地区版《生産・流通・消費の一連の流れを定温で行なう『コールドチェーン化』》が2030年に構想され、その5年後に実現したことで可能となったイベントだ。県南市場のコールドチェーンの特徴は、建物全体がそれぞれの食品の保存温度に合わせてブロック化されていること。そのため、ラジオ体操に参加する市場内の場所によって、毎朝異なるひんやり温度を楽しむことができるのだ。

二つ目は、『ちびっこ競り体験』。小学生以下の子どもたちが買い手となり、競りの擬似体験をするイベントだ。参加者側(子どもたちとその家族)は、競りで鮮魚や青果などを安く手に入れることができ、市場側も集客にもつながるため、双方にメリットがある企画となっている。

コールドチェーン化される前、令和6年当時の市場。今や住民の集いの場

―――空き家の活用、蛍の再生、コールドチェーン。こうした“わがまちSDGs”の仕掛けを通じて住民同士の交流は深まり、初めに紹介した通り今年の『小山市地区別仲良しランキング』で、中地区は悲願の首位を獲得したのだ。

「明るい未来より、現状をなんとか維持すること」「このままでは、蛍を守る活動は無くなってしまう」「商品もどんどん少なくなっていくし、縮小していく一方」…令和6年の初取材当時はこんな苦しい言葉が発せられるほど、良い未来を想像することが難しい状況だったが、多くの住民が一致団結し、小山市きっての繋がりが強い地区へと発展した。これからも、まずは来年の『仲良しランキング』2連覇を目標に、「”中”地区みんなで”仲”良し」の持続可能なまちを目指していく。

みんなでせーの!「中々いいじゃん!中地区!」

白鴎大学地域メディア実践ゼミ(君島太一、塚田歩夢、室井遥花、實川尚真)

—————————

>>「未来発!おやまノート」の記事一覧ページへ